試験時間40分 満点100点
随筆文1題 詩1題 漢字
大問1 随筆文 出典は原ひろ子『子どもの文化人類学』から。
1960年代のカナダで、ヘヤー・インディアンという狩猟採集民とともに暮らした筆者による随筆です。
ヘヤー社会で「自分で覚える」とはどういうことなのでしょうか。筆者が子どもと折り鶴を折っています。他文化と比較すると、アメリカの子どもは、教える人と自分の対話を通じて覚えます。ヘヤーの子どもは、紙と自分の間の交流を重視する特徴があります。また、学校教育に関して、エスキモーの子どもたちが、未完成や間違いがあっても先生に見せてフィードバックをもらうのに対し、ヘヤーの子どもは自分が納得できるレベルに達するまで、作品や成果を人に見せようとしません。
問1ヘヤーの子どもが折り鶴を折った後で、「こんどは違ったものを教えてよ」とは言わない理由を記述します。
問4エスキモーとヘヤーの子どもが機械をこなすことについて、両者の差が要因となっていると筆者が考えている理由について記述します。
ヘヤーの子どもたちは、客観的には筆者の折り鶴を見て覚えているが、主観的には自力で折り紙に取り組んでいるのであり、教わっているという意識はありません。また、機械の取り扱い方は自分で覚えようとするヘヤー方式より、教師に教わるエスキモー方式の方が能率的に習得できるというものでした。
皆さんは、新しいことを学ぶとき、「次はどうすればいいですか?」とすぐに聞いてしまいませんか? ヘヤー社会における「自分で覚える」とは、他人の評価に頼らず、自分の納得を基準に、対象を徹底的に観察して自分のものにすることでした。このように見ると、ヘヤー・インディアンのこの独特な学習態度は、現代の「効率重視」の教育とは真逆の価値観を持っていて興味深いですね。本当の意味で「自分で覚える」とはどういうことか、考えさせる文章でした。
大問2 詩 瀬尾夏美『声の地層』から。普通の文章のような詩(散文詩)の形式です。
津波を免れた高台の一軒家で、震災を「見ていない」と語るおばあさんが、遠くから来た旅人と震災で死んだ人を迎え入れます。おばあさんは伝聞で知った凄惨な被害や遺族の悲しみを語り、三人は共に涙を流します。「何もできなかった」と悔やむ死者に対し、おばあさんがその無念を優しく包み込むと、死者は赤ん坊の姿へと変わりました。言葉を超えて泣きじゃくる赤ん坊を旅人が抱きしめ、おばあさんに送り出されながら、共に旅を続けることにしたのでした。
問4死んだ人が、「他には、他には? と更におばあさんにせがんだ」理由を記述します。
問6旅人が「赤ん坊を連れて、旅を続けることにした」とありますが、この表現がどのようなことを表しているかを考え、記述します。
死んだ人は、津波に襲われてあっという間に命を失ったため、その後のまちや人々の様子が全くわからないので、もっと知りたいと強く思いました。死んだ人が赤ん坊になったのは、死んでしまったこと、何もできなかったことへの無念が、おばあさんの優しい言葉によって溶かされたからでしょう。旅人は、津波で死んだ人たちの無念や、生き残った人たちへの思いをしっかりと受け止めて、震災の悲惨さを次の世代に伝えていこうと決意したのです。
大問3 カタカナを漢字に直します。
ナのハナやツキはヒガシにヒはニシに
以上、お読みいただきありがとうございました。筑駒の国語問題では、高度な読解内容を、簡潔に、要領よく論述することが求められます。今後もさまざまな国語文章に触れ、学習に取り組んでいきましょう。(佐藤より)