今年も残すところ2ヶ月となりました。
「光陰矢の如し」という言葉を最も実感しているのは受験学年の皆さんではないでしょうか。「時は金なり」ともいうように、時間の大切さは改めて説明するまでもないでしょう。残された時間は短いかも知れませんが、あと〇日「しか」ない、と考えるのではなく、まだ〇日「も」ある、と発想を転換し、残された時間を有意義に使ってほしいと思います。
さて、振り返ると2019年も様々なことがありました。記憶に新しいところでは新しく天皇陛下が即位された、とか、ラグビーのワールドカップで日本がベスト8まで勝ち残った、とか…
逆にマイナスの面では、東日本の台風による災害も大きなものでした。さかのぼれば西日本でも豪雨による天災に見舞われました。被災された地域の方々には、一刻も早い復興を祈るばかりです。
ところで、そうした災害はこれまでに幾度となく繰り返し起きています。大きな被害が出るたびにマスコミ等で「防災の意識を・・・」と報道されます。海や河川の近くに住む人は洪水の、また山の斜面の近くに住む人は土砂災害の恐ろしさを「わかっている」はずです。でも、天災は残念なことに大きな被害を繰り返し起こしています。「わかっている」ではなく「わかっているつもりだった」と語る被災者も少なくありません。
皆さんもこのように「わかっているつもり」で,実はよく知らなかった…という経験が多少なりともあるかと思います。国語に限らず,算数・理科・社会の知識はもちろん,身の回りのちょっとした事象についても知っている「つもり」でいることは多いのではないでしょうか。
昨年もこのブログで同じことを書かせていただきましたが、近年、私立中学の国語の先生方を中心によく言われるのは「今の子どもたちは言葉を知らない」ということです。国語は知識問題だけでなく、読解問題も言葉をどれだけ知っているか、で大きく理解度もかわってきます。
最近の国語科の入試問題を解いていくと,それぞれの中学の国語科の先生方がそうした盲点を突いたような問題を作成されているように思います。特に言葉や文法関連の知識は,大人でも「そうだったんだ…」と思うような出題が多くみられます。
そうした出題にいつでも対応できるようにするためには、確かな知識を身につけておくことは言うまでもありません。が、それがなかなか出来ないから、そうした出題で得点差がつくのも事実です。
そこで、みなさんにお勧めしたいことがあります。それは「辞書を読む」習慣です。辞書は、知らない言葉の意味や知らない漢字を調べるためのもの、と考えている人が多いでしょう。無論、辞書を作成するおおもとの意義はそこにあります。ただ、せっかく買った辞書をきれいなまま本棚に飾っておいて、気がついてみたらほこりをかぶっていた…などというのではもったいない気がしませんか。
寝る前にパッと開いたページだけ読んでみる。国語辞典でも漢字辞典でも、ことわざ辞典でもなんでもいいのです。ちょっと読んでみただけで「この言葉にはこんな意味や用法があったんだ…」「この漢字はもともとこういう意味だったのか…」等々、新たな発見が多数あると思います。また、そういう時に見たものほど、日ごろの宿題の意味調べなどで見たものよりはるかに自分の頭の中に定着させられるものです。
受験生に求められる力には様々なものがありますが、もっとも大切なのは「なぜ?」と思える力だと私は思います。歴史にも名を残すような有名な学者たちは例外なく「なぜ?」のスタートラインから研究を始めていったはずです。みなさんも「当然知っています」で終わらせることなく、確かな知識を身につけるために新しい習慣を始めてみませんか?