筑駒の過去の入試問題で「脳の働き」について書かれた説明文が出題された年がありました。それによると、脳には「言語」とか「文化」を司る「大脳新皮質」の部分と、「感情」「行動」「情緒」を司る「大脳旧皮質」の部分があるそうです。
いわゆる問題演習等、机に向かってのドリル演習は、「大脳新皮質」の部分中心に行われ、特に「論説文」「説明文」は、「授業」と「問題演習」で鍛えられるのではないかと思います。
成績上位生の多くは、文章に書かれている筆者の意見を書かれているとおりに読み取れば正解を導ける「論説文」「説明文」は、それほど苦手ではなくなり、むしろ良く出来るようになってきます。
課題になるのは、「物語文」「随筆文」等の「文学的文章」と呼ばれる文章なのではないでしょうか。「大脳旧皮質」の部分と関係あるのかも知れません。この部分は「授業」「問題演習」+「何か」の力が必要だと感じます。ドリル演習だけでは身につかない「何か」です。その「何か」は「感受性」という言葉で置き換えられるかも知れません。
「太郎君はうつむきました」と書いてあっても読んで何も感じない生徒は、「どうしてうつむいたのですか」と問題で聞かれて初めて、どうしてうつむいているのか、考えるわけです。
読みながら、太郎君は悲しみをこらえてうつむいているんだな、と感じ取れる生徒は、より精度の高い答案を記述出来るわけです。
ではこういう力というか、「感性」というか「感受性」はどうすれば養えるのでしょうか。正確な答えは一律には導き出せないのかも知れませんが、日常生活の中で、見たもの、読んだもの、聞いたもの、話したこと、書いたこと、の表現を繰り返すことで、少しずつ身についていくものなのではないかと思います。
読書、テレビ、映画鑑賞、旅行(今は行けませんが)、友達や親との会話等を通じて少しずつ培われて行くのではないでしょうか。
人の思考はすべて、口にするかしないかに関わらず、脳の中で「言語」で行われているはずです。例えば「今日はまずあれをして、その後これをして」とか、「このテレビ面白かったなあ」とか、「おなか空いたなあ」とか。この心の中での会話を意識して多くする、豊かな内容でする、を実行させてみて下さい。ご家庭でもぜひ素敵な会話のやり取りを心がけてみて下さい。
「感受性」がより豊かになれば、ドリル演習+「何か」の「何か」の部分が補われ、試験時間という短い時間の中で、より良い言葉を選び出せるようになると思います。 (中村)