開成中の出題から。
訳あり、母とともに居候先のおじ・おば宅に転居した少女。冷遇、母の職探しの行き詰まり…もう、こんな生活は嫌。家出して、憧れの海に行こう。そこには、夢と冒険がある!でも、海に着くと、すぐに帰宅を促すかのような日暮れが。現実逃避の果ての希望は、「役立たずのがらくたのおもちゃ」ともいうべき?向き合う勇気をくれた海よ、ありがとう。
(萩原浩『空は今日もスカイ』)
小学三年生の茜(あかね)は、母の失業をきっかけに、おじ・おば夫婦の住む家にやってきました。しかし、母の仕事は、なかなかみつかりません。おばは、最初のうちこそ母子を歓待していたものの、十日もたつと、家計を圧迫する厄介者のように扱います。以前の学校の友達との別れを思うと、涙があふれてくるばかりです。茜にとって、今、住んでいるところは、閑散とした土臭い田舎村そのものであって、とても好きにはなれません。
そんな茜が、冒険を求めて向かった先は、家族で楽しく過ごした思い出のある海でした。海に到着し、しばらく遊んでいると、ほどなく空が暗くなり始めます。子供だけの宿泊などできないことはわかっていますから、日暮れとともに、家に帰らねばならない現実に否応なく直面します。そのとき、家出という夢は、全く無力なものであったことに気づかざるをえませんでした。この体験は、茜が、今の境遇と向き合うきっかけになっていったのかもしれません。
私たちは、日々、現実のなかに暮らしています。学生、社会人、主婦…どんな立場の人でも、何の課題も悩みもなく、夢心地に、ただ、自分の好きなことだけに熱をあげていればいいような人は、なかなかいないと思われます(仮に、一見、そのように見受けられる人でも、実は、人知れず苦闘を重ねてきた、または重ねているケースがほとんどでしょう)。皆、何かにぶつかりながら、試行錯誤と工夫を繰り返して、道なき峰を登攀しようともがいているにちがいありません。
だからこそ、時に、現実逃避の夢を見て、疲れを癒やすことがあっていいかもしれませんね。むしろ、そこで養った英気を、今度は、繁多な実際生活上の活動に還元していくことこそが、価値ある生き方と言えるのではないでしょうか?
音楽、読書、映画、旅行…そこで心に蓄えた栄養をもって実生活に向かい、疲れたら、また、夢の世界で充電する往復過程。「現実か、理想か」という二律背反的な議論を止揚する道に気づかせてくれた、本年の開成中の出題でした。