~武蔵中の出題から~
人間は、今や、大半の仕事で、ロボットよりも能力的に劣った存在だ。それで、構わない。しかし、多くの人は、「人間こそが最高の存在である」という特権意識を脱していない。そこを突き崩してこそ、「人間とは何か」について本質的な考察を進められよう。(石黒浩)
あらゆる「技能」において、人間は、コンピューターより性能が低いと言わざるをえませんね。まず、この点を率直に自覚する必要があるとしています。その前提に立って、人間にしかなしえない、人間らしい特徴を見出し、希望を開いていこう、というメッセージを読み取ることができます。
~駒場東邦中の出題から~
家業廃業、父失踪、両親の身勝手そして離婚。高校を退学し、信頼する知人の実家にひっそりと身を寄せつつ、両親との決別と自立を覚悟。将来の職業や自分自身を深々とみつめる少年。寒き夜や/我身をわれが/不寐番(ねずのばん) 一茶 (ねじめ正一「むーさんの自転車」)
不遇な環境に置かれた青年の、魂の叫びが聞こえるようです。どんなに運命に見捨てられるかのように理不尽な日々であったとしても、自分から人生を投げたりはしない。否、むしろ、過酷な宿命は、己の心を鍛え、育んでくれさえするのだ!地を這うように、苦しみ、もがき、活路を見出すなかでこそ、真の自画像が紡ぎ出されていくに違いない!
~渋谷幕張中の出題から~
正体不明で予測不能な自身の「体」に注目。人間にとっては、体こそが全体であり、そこに関心を持つことが、リスクに満ちた自然を捉える入口にもなるはずだ。現代人よ、ごく一部の機能でしかない「意識」で、体や人生そのものをコントロールできると思うなかれ。(出典等無記名)
理性万能主義への警鐘ととらえるべきでしょうか。現代人は、ともすると、すべての事象を、科学的に分析・裁断し、その成果に基づいて計画された青写真に合わせて、世界を「進歩」させようと試みてきたといえるかもしれません。しかし、複雑微妙なる現実相は、そのような実験をあざ笑うかのように、ときに悠然と、また、傲然と屹立しており、それは、人間の頭脳の及ぶ範囲における小細工では、とうてい、手のつけられない代物であることが、皮肉にも科学の進歩と比例するように判明しつつあるようです。この、人間・自然・社会に対する総合的な理解の糸口として、私たちにとって最も身近な、自らの肉体の体感尺度に耳を傾けてみることを勧めています。
このように本年は、あらゆる次元から、人間存在の根源的な意味を問う文章が多く出題されました(興味のある方は、「2018御三家の哲学①②」も、合わせてご参照ください)。
またいずれも、その「答え」を唐突に提唱するのではなく、解決のヒントになるであろう問題の周辺に必死に思索の糸をめぐらせたり、また、解答が見当たらないまでも、真摯かつ懸命に、直面する課題に向き合ったりしている傾向が顕著です。
受験生のみなさんも、まずは、これらの文にじっくりふれて、扱われている世界観を感じ取り、将来、自分なりの「答え」を見出すための素材をつかむ第一歩を踏み出してほしいと思います。