麻布中の出題から。
当初、父の仕事都合だという転居や引っ越し先の暮らしに違和感があった少女。でも、娘の幼い頃を思い出して帰郷を願う「おじさん」の愛情や、出稼ぎに出た父の帰りを待ちわびる友の思いやりや、的確なアドバイスをくれる姉の優しさにふれるうちに…家族や今の生活の大切さに少しずつ気づけたかな? (安東みきえ『天のシーソー』による)
私たちは、とりまく環境が大きく変わったとき、少なからぬ葛藤を抱えることがありますね。たとえば、みなさんは、学年が上がってクラス替えが行われ、それまで仲の良かった友達と別れなくてはいけなくなったことはありませんか?それが、新しい仲間を作るきっかけになることはわかっていても、それまで自分に居心地の良さを与え続けてくれた環境の喪失は、他の何者をもっても補うことはできないというべきでしょう。その気持ち、よくわかります。
しかし、いつまでもうつむいているわけにもいきません。日々の学校生活が新しいクラスで営まれる以上、せつない現実となんとか折り合いをつけて前に進まない限り、殻に閉じこもって塞ぎ込んだままです。そんなつまらない自分でいれば、誰も得しませんよね。
本年の麻布中の出題文においては、環境が激変した新生活に慣れる第一歩を踏み出すきっかけとしての、いつでもどこでも、どんな自分でも受けいれてくれるであろう「家族」との絆にスポットを当てています。”娘の幼い頃を思い出して帰郷を願う「おじさん」の愛情”も、”出稼ぎに出た父の帰りを待ちわびる友の思いやり”も、”的確なアドバイスをくれる姉の優しさ”も、一貫しているのは、「無条件性」といえるかもしれません。相手がある一定の条件を満たさなければ愛情を注げないのであれば、それは部分的かつ偏頗な感情であって、何らかの障害にぶつかれば、もろくも崩れ去る危うさを伴うのではないでしょうか。
無償の愛をもって見守ってくれる存在は、必ずしも家族に限定されるものではないでしょう。これから、自分が、どんな学校に進学し、いかなる職業に就いても、また、万人が見捨てんばかりの苦境に立つことになったとしても、最後の砦ともいうべき存在として背中を押してくれるかけがえのない知己を得るには、やはり、自分から他者に対してそのような接し方を心がけるしかないのかもしれませんね。
「絆」の力に改めて気づかせてくれた、麻布中の出題でした。