本年度、武蔵中の入試問題から。
子どもの自立を待てず、すぐ介入したがる親。目標計画以外の、創造的業務を許さぬ企業。期待、先取り、効率第一・・・ちょっと視野狭窄で、不自然では?そもそも、疲れる。焦るのはやめ、一度、全部、手放したらどうか。自然、偶然に身をゆだね、機が熟すのを待つことが、ときには必要だろう。とにかく「待とう」。 (鷲田清一の文による)
今日、何らかの組織とかかわりを持たずに暮している人は、ほぼ皆無でしょう。そして、組織には目的があります。目的達成のための行動や計画があります。私たちは、それらから求められる指標に、どこまで順応し、かつ展開できるかによって評価される社会に生きています。人と人の中で生きるためには、ある程度、社会から求められるものに応えなければなりませんね。社会とのかかわりを脱して、やりたいことをやりたいときにだけする生活に、人間らしさがあるとは思えません。無分別な情緒と欲望を制御し、自己実現のためのヒントを与えてくれる集団性に、大きな価値があることは事実です。社会的要求への順応度を高めようと、現状に満足せず、新しいことを常に学び続ける自己刷新力は、有能な人材たるための条件の一つといえるでしょう。
では、この社会のシステムは、何のためにあるのでしょうか?古今、多様な意見が出されてきた、大きな命題です。それでも、自分や家族が、ごく普通のありふれた幸せを手に入れたいと思うのは、自然です。みんな、幸せでありたい。そのために組織を作って、共同作業で生産性を高めようとした。それは、一人ひとりへの、福利還元のためだったはず。
でも、あるときから、組織への忠誠度・順応度の高さや「成果」「数値」が、目的になってしまった。特に、社会が複雑になればなるほど、スピードが求められる。「もっとはやく、もっとみばえよく、もっともうかるように、もっと・・・」を繰り返すうちに、それが自己目的化して、本来の目標を見失ってしまった。本年の武蔵中の出題には、こんな問題意識が背景にあるのかもしれません。
私たちは、現実的に、社会的要求を完全に無視して生きていくことは不可能です。あくまでも、その範囲内で、自己実現を図るしかありません。しかし、個々の案件に対処する心がけとして、”ちょっと俯瞰してみる”、”行き詰まったら、押さずに引く”、”忙しくても、心だけは悠然と”・・・つまり、一旦、眼前の課題を手放して、等身大の自己に立ち返り、「待つ」心がけと態度も、時に肝要ではないでしょうか。
多くの示唆に富む、今年の武蔵中の出題でした。