本年度、桜蔭中の入試問題から。
飛び立てぬ臆病心を、うぬぼれや他者を見下すことで覆い隠し、わが身を守り、安心感を得ていたメスのチドリ。しかし、ぶかっこうなオスのチドリの、気取りを捨てた優しさ、率直な誠意、そして求婚で、心にまとっていた保身の殻を少しずつ氷解させ、やがて一匹の鳥として、ありのままの力を呼び覚ますことができるようになった。気づくと、メスチドリは、大空に飛翔していたのだ。 (魚住直子「べっぴんさん」による)
自分の欠点を自覚したとき、人はどうするか。
それがさらけ出されることを極度に恐れ、自己正当化の論理をまとって、体面を保つのも一つの生き方。
他方、至らぬところを率直に認め、さらけ出し、ありのままの自分から再出発するのも一つの選択。
一時的な精神的バランスは保てるが、生涯、小さな殻の中に閉じこもり続けるであろう前者。
一時の恥を惜しまず、真実・等身大の自分を受容することで、翻って多くの人から手をさしのべてもらえる可能性が開ける後者。
皆、後者でありたいとは思う。
しかし、年齢や地位などを重ねるにしたがって、保身の壁は増幅していく。ありのままの自分に立ち返ることは、思いのほか勇気のいることにちがいない。人間のプライドは、言葉で語れるほど単純ではないのだろう。
さらに、私たちは、このメスチドリのように、誰かが胸襟を開いてくれるまで待ちわびているわけにもいかぬ。待っているうちに、人生は光陰矢のごとく過ぎ去ってしまう。あくまで、自発的に他者の胸に飛び込んでいかなければ、人生の歯車は回り始めない。
向上と成長の第一歩は、”無知の知”にあり。つまり、至らぬ自分に目覚めることから全てが始まる、というべきか。そして、積極的な自己開示が明日を拓く。
多くの示唆に富む、今年の桜蔭中の出題でした。