今年は鈴木章、根岸英一の両氏がノーベル化学賞を受賞し、これで日本出身の受賞者は南部陽一郎氏を含めて18名になりましたが、最初は1949年に物理学賞を受けた湯川秀樹でした。ところで、ノーベル賞には数学部門がないのですが、この湯川秀樹は日本の数学者の名声を高めるのに一役かったことがあるのです。
前回記した高木貞治の『類体論』は数論の分野における業績ですが、それからわずか15年後の1935年には、多変数関数論の分野において岡潔の『上空移行の原理』が発見されています。岡はさらに『関数の第二種融合法』や『不定域イデアル』の理論などの大発見を重ねて、数学のこの分野で世界をリードし続けました。特に『不定域イデアル』の理論が発表された第7論文は、1948年にプリンストン高等研究所の客員教授として渡米する湯川秀樹に託され、アンドレ・ヴェイユ経由でフランスのアンリ・カルタンに届けられたのですが、1951年に「フランス数学会誌」の巻頭論文として掲載され、岡潔の世界的名声は決定的なものになりました。
分野が異なるため高木と岡のあいだに直接学問上の接点はなかったようですが、戦中の1942年から7年間、岡は岩波書店の設立した「風樹会」から奨学金を受けており、その理事であった高木にこまめに研究報告を行っていたようです。岡の手紙の下書きは数多く発見されていますが、残念ながら、これに関する高木の文書は全く見つかっていないようです。しかしながら、高木の師ヒルベルトは、名高い「第12問題」(解析関数の特殊値による類体の構成問題)において、多変数関数論に言及し、この問題の究明を通じて多変数関数論は本質的に進歩するであろうという展望を述べているのですから、両者のあいだには何かしらの共通理解があったと推察されるのです。