はじめまして。この度エクタス吉祥寺校で国語を担当することになりました小島浩昭と申します。今まで、東京・埼玉・千葉・神奈川、いろいろな教室で国語科の指導をしてまいりました。今後ともよろしくお願いいたします。
今回は、国語の柱とも言える「言葉」について、お話ししようと思います。
ここ数年、よく耳にするのは「最近の子供たちは言葉を知らない」という声です。ある調査によると、30年前に比べ、最近の高校3年生の語彙(ごい・使える言葉)が1万以上減ったとも言われています。先日も、ある私立中学の先生とお話しした際、「今の子供たちは単語でしか話せない子が多いです。『先生、トイレ。』『先生、日誌。』という具合に…」とおっしゃっていました。
確かに、私の指導経験からも昔の子供たちに比べて語彙が減ってきている感覚は否めません。ただ、本当に今の子供たちは言葉を使えなくなっているのでしょうか?毎年子供たちと接していると、とてもそうは思えません。記述問題一つとっても、素晴らしい答案を書ける生徒は今でもいます。そこで、ふと最近の生徒の口癖を思いつきました。
「面倒くさい…」
皆さんも、つい思ったり言ったりしてしまうことはないでしょうか?頭の中ではわかっている、今何を言えばいいか、何をすればいいか、わかってはいるけど「面倒くさい」…
元々、「面倒」とは、大切にする、世話をする…という意味の言葉であることは「面倒を見る」という言葉からもおわかりですね。一説によると、世話をされた時にお礼を言うのが照れくさい、恥ずかしい…その気持ちをことさら強調して「面倒くさい」というようになったとのことです。
そう言われれば、「正しくはこう言うべきとはわかっているけど…照れくさい」=「面倒くさい」という図式が想定できます。つまり、言葉を「使えない」のではなく「使わない」ということですね。使える言葉を持ちながらそれを使おうとしないのでは、宝の持ち腐れというものです。面白い替え歌や数え歌などが昔も今も存在するのは、昔から、子どもたちが言葉の面白さを知っていたことの証拠だと思います。
この拙文にお付き合いいただいた皆さんには、「言葉の面白さ」にぜひ気付いてほしいと思います。面白い言葉を使い続けることが、最終的な表現力=記述力の土台にもなるものです。これからは、言葉を楽しむ…そんな意識を持ってほしいと思います。