合格体験記2024

筑駒・御三家・駒東中合格を飾ったエクタス生の体験記をご紹介します。
(50音順)

※体験記中の「PA」とは、エクタスの小6向け講座「パーフェクト・アプローチ」のことです。

最後の一年が大事:青山 優實弥

進学先:武蔵中
その他合格校:城北中・立教新座中・栄東中(東大特待)

僕がエクタスに出会ったのは五年生になる三月の春期講習の時でした。それまでは他の大手塾に通っていましたが、受験をすることを四年生の時に決めたことで(このままではダメだ)と思い、四年生の終わりから他の塾を探しました。いろいろな塾を見ていく中でエクタスを見つけて通うことにしました。ですが五年生の時は最後まで宿題をやるだけやって間違ってしまった問題を解き直すことなく過ごしてしまったので、成績もあまりよくありませんでしたが、六年生に入ってから武蔵を目指すにあたって怠けていてはいけないと危機感を覚え、いよいよ本格的にやるようになりました。そして、それなりに勉強をして復習もしっかりとしていて成績が上がり、初回のPAでも国語以外は良い点を取ることができたのですが、そこで調子に乗ってしまい、元のようにあまり復習や解き直しを理科と社会以外ではやらなくなってしまい、過去問でも国語は五割程度で、算数においては10点や21点などと、100点満点とは思えないほど点数が低くなってしまい、落ち込んでしまいました。けれど、ふと考えてみると、自分がまた怠けてしまったことに原因があり、復習をすればいいのではないかと思いました。その後、エクタスの先生方や家族からのサポートもあり、怠けずに間違えてしまった問題を解き直すことによって最後のPAでは算数は八割超えになり、一番苦手だった国語でも77点と八割近くを取ることができるようになりましたが、本番の二月一日をむかえ想像していたよりも理科と社会が難しく、結果が出るまで二日も三日もドキドキしながら試験を受けました。三日の海城の試験が終わった後に結果を聞いたら飛び上がるほど嬉しかったです。
僕を合格まで導いてくださったPAの白田先生、山崎先生、田子先生、久道先生、平岡先生、吉祥寺校の金子先生、小島先生、山本先生、髙原先生、本当に二年間ありがとうございました。

あきらめずに努力し、つかみ取った合格:石原 和真

進学先:開成中
その他合格校:筑波大学附属駒場中・聖光学院中・渋谷教育学園幕張中・栄東中(東大特待)

僕は4年生の2月からエクタスに入塾した。エクタスの授業での先生の話はとても面白く解説もわかりやすかった。僕が5年生のころにいろいろな学校の文化祭や学校説明会に行ったときにこの学校に行きたいと思ったのが第一志望にした開成と第二志望にした聖光でした。そして第三志望に先生からの勧めもあって筑駒を選んだ。
そして小6の9月になって開成PAが始まった。PAでは苦手な教科である国語が足を引っ張ってしまった。そしてサピックスオープンでは国語と社会で失敗することが多く開成と筑駒は合格可能性80%をとることができなかった。しかし僕は開成に行きたかったので冬期と一月は自分の苦手な部分を徹底的にやりこんだ。
迎えた一月の入試。栄東の東大特待Ⅰでは緊張して算数で80点代(150点満点)を取るなどしてギリギリ合格するというラインまで下がってしまった。しかし、これによって緊張がほぐれたのか渋幕の試験では好調で合格することができた。渋幕に合格することができて、自信を持った僕は2月1日の開成の入試ではひとつひとつ丁寧に問題を解くことができた。そして2日の聖光、3日の筑駒と受けた。筑駒の試験が終わったとき、開成の合格発表を見て自分の番号を見つけたときはうれしくて飛び跳ねました。残念ながら2日の聖光は落ちてしまいましたが4日にリベンジした。5日に筑駒と聖光の合格発表を見て自分が合格したと知ったときはびっくりしました。
後輩の皆さん、たとえ僕のように模試や過去問でうまくいかなくてもあきらめずに努力すれば、その努力はきっと報われます。
最後に僕をサポートしてくださったエクタス自由が丘校の松井先生、長岡先生、山本先生、松本先生、PAの清水先生、川島先生、小島先生、ありがとうございました。

逃げていた僕の奇跡的な逆転劇:石丸 雄規

進学先:麻布中
その他合格校:北嶺中・栄東中

二月三日、受験を終えてエクタスに戻りその日に受けた海城中学校の問題の振り返りをしている時だった。久道先生に呼ばれ、スマホの液晶を見るとそこには僕の受験番号がのっていた。歓喜が家にもあふれかえったらしい。久道先生も喜んでいた。僕の心の中も喜びで満たされていた。それと同時に大変だった日々とお世話になった人々への感謝の気もちにも満ちた。
僕は、一年の時にアルゴクラブに入り、二年からエクタスに入会した。三年までは「楽しい」ですんでいたが本格的になると同時に僕の心の中では嫌なことから逃げようという気持ちが生まれてしまった。母もさじを投げ、進級テスト後は自分で管理することになってしまった。つまり、成績は落ちまくってしまったということだ。
六年生になり、算数が特にまずいことを知った僕は、成城学園校で社会を髙原先生に、算数を大矢先生に見てもらい、秋を過ごした。両親と対峙した時に、第一志望校の麻布が記念受験で終わる現実を突きつけられ、十二月からは(猛?)勉強に励んだ。今までやらなかった分を取り返すのは厳しかった。一月校が思うような結果にならなかった時も平岡先生に細かく分析・指導してもらい、一層励んだ。
麻布中学受験の前日に僕は「絶対麻布に合格してやる」と再度心に誓い、気を引き締めた。
いよいよ本番。麻布中に行くと、多くの人で既にごった返していた。なぜか僕は緊張感がかけらもなかった。まるで慣れ親しんだ学校でアンケートにでも答えるような感触だった。ちなみに、前の席にはPAのHくんという友だちがいた。(彼もちなみに麻布中に合格した。)そして、最初に戻るわけだ。
僕がこれからの受験生に対して言いたいことは「嫌なことには逃げずに立ち向かえ。そうしないと僕のようにとても大変になるぞ!!」ということだ。久道先生、平岡先生、髙原先生、山本先生、大矢先生、その他の受験を支えてくれた方々、本当にありがとうございました。

エクタスのおかげ:一條 颯真

進学先:麻布中
その他合格校:渋谷教育学園幕張中・海城中・桐朋中・栄東中(東大特待)

僕が中学受験のために本格的に勉強し始めたのは4年生になった時だった。その頃は御三家、筑駒、駒東などの学校は厳しい学校というイメージがあり嫌いだった。そんな学校に行くことになるとは夢にも思っていなかった。その思いを父に伝えたところ、父は一つの動画を見せてくれた。麻布の文化祭のダンス部の動画だった。その動画では髪の毛を様々な色に染めた生徒たちがとても楽しそうに踊っていた。ダンスを幼稚園の頃から続けていた自分にとって、『御三家』と言われる学校の中にもこんなにも自由な学校があることに衝撃を受け、麻布に行きたいと思うようになった。
僕は算数や理科は比較的得意だったが、6年生の9月になっても国語が伸びず、合格力判定テストでも偏差値34を叩き出し、小島先生から言われ続けてきた『颯真は読む力はあるからだいじょうぶ』という言葉も全く信じられなくなってしまっていた。僕は国語の点数を上げていくために、他の科目の勉強時間は変えずに国語の勉強時間を増やすことにした。するとPAでも国語の点数が徐々に上がってきて、合格力判定テストでも点数が上がり、最終的には合格力判定テストでの国語の偏差値が58になり、四教科での偏差値も62になった。麻布の学校別サピックスオープンでも偏差値65を出すことができ、問題を解くスピードが遅い自分にとって、麻布の問題は合っているなと感じることができた。
そして迎えた最初の受験、栄東ではあまり緊張することもなく無事東大特待で合格することができ、また一番心配だった渋幕でも算数の合格者平均がとても低い年だったにも関わらず高得点を取ることができたため、麻布にも合格できるのではないかと自信をつけることができた。2月1日本番、麻布のテストが終わった後は絶対に合格している自信が物凄くあり、お父さんにも絶対受かっていると自信を持って伝えることが出来た。2月3日、海城の試験が終わったあと、麻布に近づきながらインターネットで合格を確認して、麻布で実際に番号を確認しすぐにエクタスに電話をした。結果として受けた学校すべて合格することができ、とても嬉しかった。
僕の国語の力をずっと信じてくれていた小島先生、算数を超得意科目にしてくれた金子先生、他の科目の勉強も手伝ってくれた久道先生、授業が面白く社会という科目を好きにさせてくれた高原先生、そしてPAの先生方、僕を行きたかった麻布に導いてくれて本当にありがとうございました。先生たちが一人ひとりの生徒のことを考えてくれて、そしていつ行っても仲間が自習室にいるエクタスは本当に自分に向いていたと思います。麻布でもエクタスでみんなと勉強した日々を忘れずに頑張っていきます。

面白さを求めて: 井上 昊

進学先:麻布中
その他合格校:海城中・巣鴨中・栄東中

僕は二年生のときにエクタスの体験授業に行き、算数の授業が面白かったため、入塾しました。そのため、受験勉強という入試で合格することが最優先し、勉強本来の楽しさが半減する勉強はとても嫌いでした。
そんな僕が麻布中を志望したのは、麻布中が制服がなく、校風が自由で、入試の問題が思考力を必要とする面白い問題である学校だったからです。
そして面白さを最も大切にする勉強をして二月一日を迎えました。
二月一日、試験本番、全く緊張しませんでした。しかし、得意である算数がとても難しく、空欄をつくってしまい、算数以外の国語と社会と理科では手応えがありましたが、とても不安になりました。
そのあとエクタスで社会の振り返りを山﨑先生として、手応え通り上手くできていましたが、算数があまりできなかった不安のために安心できませんでした。
二日後の、二月三日、海城中の入試が終わった後に漫画を読みながら麻布の合格者の受験番号一覧が出るのを待ちました。
そして予定の十五時よりも早い十四時三十分頃に一覧を見て、そこに自分の受験番号がありました。(はじめは間違えて、違う受験番号を探していましたが)
合格を知ったとき、僕の中では嬉しさよりも安心が大きかったです。なぜなら、麻布中以外に通いたいと思える学校は一月に不合格となっており、通いたいと思える麻布中に通うことができると分かったからです。
最後に、白田先生、田子先生、相馬先生、山﨑先生、宮下先生、滝澤先生、そして、低学年の頃に算数の面白さを教えていただいた荒井先生、PA麻布の先生方、ありがとうございました。

気持ちを切り替えよう:井上 悠絆

進学先:武蔵中
その他合格校:桐朋中・学習院中・栄東中(東大特待)

私は、四年生の頃からエクタスに入った。最初はアタックテストで偏差値60というあまりよくない成績を取っていたが、久道先生や髙原先生のおかげで理科や社会が取れるようになり、偏差値65を超えるようになった。それから五年生になると第一志望校が武蔵に完全に決まったことや、小学校があまり楽しくなくなったことで、より勉強時間が長くなって集中できた。だが、五年生の秋から受け始めたサピックスオープンの模試では得意だと思っていた算数があまりに取れなくてびっくりして自信を無くしてしまった。でも、それからは算数をより注意深く頑張れるようになったので、今考えればそれはよかったのかもしれないと思う。
六年生になると、サピックスオープンの成績が上がり、6月には武蔵の合格可能性が80%まで伸びたが、少し気が緩んでしまい10月のオープンでは50%にまで下がってしまった。でも新6年の初めから国語を山本先生に見てもらっていたおかげで、国語の成績が上がったことや、理科の成績が安定したことから第二志望以下の学校の過去問をやらなくてもよくなったことで、自分が一番やった方がよい算数を重点的にやることができるようになった。そのおかげで自分の成績もよくなったのだと思う。そして、1月に入り栄東中を受験した。その帰り道では算数が出来なかったことや国語の物語の内容がつかめなかったことで落ち込んでしまった。でも、結果的に4教科バランス良く得点し、東大1年特待で合格することができた。
そして二月一日の武蔵中を受験したときには国語の物語文や理科の問題が難しかったせいで落ち込んでいて、学習院中等科の試験を受けているときもそのことを気にしてテストに集中できなかったが、武蔵中学には合格できていた。この経験から、気持ちの切り替えはとても重要だと思う。
PAの白田先生、山崎先生、田子先生、吉祥寺校の久道先生、金子先生、平岡先生、山本先生、髙原先生、小島先生、事務の山崎先生、そして学習院中等科の理科の時事問題について質問した栄光ゼミナール目白校の先生、本当にありがとうございました。
後輩の皆さんは入試や模試で一教科がうまくできなかった、または手応えがないと思ったときも、その教科のことから気持ちを切り替えて、次の教科を受ける時に最高のコンディションで挑めるようにしてほしいと思う。

I love Echtas :K.U

進学先:開成中
その他合格校:渋谷教育学園渋谷中(特待)・西大和学園中・愛光中・東京都市大学付属中

「誰、この人。声でかいし(大野先生ごめんなさい)。ここはどこ?何のために来たの?」
これは僕が小3の夏にエクタスの体験に来た時の感想だ。当時は母に連れられてきただけで、他は全く考えていなかった。でも入塾し、慣れてくると学校の授業よりも難しいエクタスの授業を楽しんでいる自分に気がついた。以後、4教科になり、宿題が増える中でもそれは変わらなかった。
受験のことを考え出したのは5年の学校説明会や模試が始まった時。鉄研が盛んで、さっぱりした校風だから自分(鉄道ヲタク)に合うと思った筑駒・開成・駒東を目指すことにした。模試での成績は悪くなかったが、この頃から算数の凡ミスが多発していた。
6年になると凡ミスが直らない上に問題が難しくなったので算数が少しずつ苦手になってきたが、「目標を高く持とう」と先生方にすすめられた筑駒必勝特訓講座のテストには合格し、受講できた。
しかし、秋からPAが始まり、過去問演習や模試も本格化してくると、「自分B」が本気を出し始めた。算数の凡ミスがさらに激しくなり、得意だった理社の問題文も読み飛ばし、国語では解答欄をずらしたこともあった。それによって僕は、母が心配になって滝澤先生に相談する程の算数スランプに陥った。でも先生方は僕を見捨てず、どうしたら良くなるかをアドバイスしてくれた。また、僕は過去問演習の自信から1日校を開成にしたいと思っていたので、親が大野先生と相談し、1月の西大和で合格最低点から30点上回れば開成を受験しようということになった。
そして年末年始から怒涛の算数漬けの日々が始まる。大量の過去問をやって算数感覚を取り戻し始め、1月6日の西大和(算数が難しく自信がなかった)や7日の愛光では合格を頂くことができた。さらに、1月は滝澤先生が自習に付き合ってくださり、エクタスにひたすら通って算数の難問をやり続けた。初めは全く分からない問題もあり解説を見ていたが、だんだん解けるようになってきた。
そうして迎えた2月1日の開成。とても緊張していたけれど何だか算数がいつもより簡単に思えた(実際の平均点は例年より少し高いくらいだった)。その後の都市大付属や渋渋では緊張がほぐれ、結果を気にせず楽に取り組めた。3日の筑駒では開成や渋渋の結果が出るのでうまく集中できなかったものの、終了後に親から開成・渋渋は合格だと聞いて飛び上がるように喜んだ。受験終了だと考えると努力が報われた気がした。筑駒にはご縁がなかったが、憧れの学校に合格できたことが嬉しく思え、中学校生活が楽しみだ。
未来の受験生の皆さん。自分の弱点をなくしつつよく寝て(9時間くらい)、全試験で解答を見直そう。絶対大丈夫!
最後に、算数が苦手でも見捨てず手弁当で指導してくださった滝澤先生、癒される大きい声の大野先生、いつもニコニコしていた松井先生、丁寧に過去問を添削してくださった田子先生、話にのってくださった富山先生と蛯名先生、PAの小島先生、高原先生、川島先生、筑駒必勝の佐藤先生、渋谷校やPAの皆、車で迎えをして入試が近づいてもおおらかでいてくれた父、図書館で国語の問題に出てきた本を借りて塾を楽しめるように工夫してくれた母、ありがとうございました。授業も楽しく友達や先生も優しい最高すぎるエクタス。大学受験コースがあれば絶対に通います!!

合格への軌跡: 内田 新之佑

進学先:武蔵中
その他合格校:本郷中・立教新座中・栄東中(東大特待)

あー、ヤバい。手応えが良すぎておかしい。やってしまったか。第一志望の武蔵の試験が終わった後の率直な気持ちだ。
武蔵恒例のお土産問題では10分近く観察できた。理系科目が苦手な僕がこんなに観察に時間を割ける事自体が変だ。算数もさほど難しさを感じず、とはいえ1の(1)を間違えたが。得意の国語と社会はいつも通り。のっけから何か勘違いしちゃってまんまと間違えているのか・・・。そして冒頭の気持ちで3日を待った。
ここまで、塾の先生には酷く迷惑をかけた。六年の11月まで野球をやり、遅刻・早退当たり前、授業の途中で試合に出て戻るなんて事も。五年生時は新しい事ばかり、こんな僕は追いつけず、ただただキツかった。野球をやめないとダメかと思うが、上を目指すチームメイトに申し訳ない。ものすごい板挟みだ。
でも最後まで僕を見捨てず、全力で引っ張って下さったのは先生だ。こんなに勝手にやらしてくれた両親にも感謝しかない。そして塾の友達にも感謝だ。応援BOOK、あれにはとても励まされ、この中のどこかで受けてるんだな~って思うと力が湧いた。みんなで一緒に受かりたい、そう思って頑張れた。
僕が受かったのはひとえに先生方がワンチームで戦略的に導いて下さったおかげだ。勉強時間が圧倒的に足りず周回遅れだった僕が受かったのは、唯々そのおかげなのだ。何度も言うが先生には感謝しかなく、最後は先生の言うとおりについていって良かった、その一言なのだ。
試験が終わった日これだけ周りの方々に支えられ思いっきり没頭できた日々を思うともし第一志望に受かって無くても満足だと思えた。それほど充実していたし、やり切った事に晴れ晴れとした気持ちだった。
最後に、白田先生、先生のお勧めの味噌煮込みうどん、体があったまってマジで良かったです。当日のゲン担ぎで、最後の一押しはそれで受かったな、きっと。

結果なんて誰にも分からない:海老原 悠理

進学先:雙葉中
その他合格校:お茶の水大附属中・淑徳与野中(医進)

私は四年生の十一月からエクタスに通い始めた。私が偏差値の高い学校を目指した理由は「周りの人達にいじめられないようになる。」というものだった。そのため、私は同じく中学受験をする子と比べて気楽にやっていたと自分自身で感じている。
PAが始まったあたりまで、私の得意科目は算数と理科だと思っていた。しかし、雙葉中学校の過去問を解き始めてから各教科で様々な点のばらつきがあった。算数は取ることができる点数が三十~八十点。国語はある程度安定していたが、五十~六十点。理科はたまにとてつもなく低い点数を取り、二十~三十点。社会は入塾当初から目も当てられない程の点数と偏差値を叩き出しており、十~三十点。これらの情報からも分かる通り、私は最高点と最低点の差が大きい。高い点数を取ることができた年度は喜び、低い点数を取った年度では多少落ち込んだ。それでも私はめげずに過去問に立ち向かった。そして一月頃には国語と算数で五十~六十点、時には七十点代を取ることもあり、理科と社会では三十点以上を頻繁に取ることができた。
そして迎えた二月一日。受験前に一番怖かったのは、私自身が全く緊張しなかったことだ。雙葉中学校の合格者最低点の合計は二百点前後。私は一つの教科が終わるごとにだいたい何点ぐらい取れているかを予想し、残りの教科であと最低でも何点取らなければいけないのかを求め、配分していた。しかし、私は教科ごとに気持ちを切り替えようと意識していたので、前の教科のことはズルズル引きずらないように気をつけていた。一日の試験が終わった後はエクタスに行き、算数と理科の再現答案の丸付けをしてもらった。理科では過去最高点の四十点代を記録したと思ったが、算数では五十点未満かもしれないような丸の数であったため、私は絶望した。
二月二日の午後。私は母がスクリーンショットしてくれたスマートフォンの画面上で結果を見た。目の中に飛び込んできたのは、
「合格」
の二文字。私はその結果におどろき、二度見した。それでも目の中に飛び込んでくるのは先ほどの二文字。私は駅の前であるにも関わらず、叫びそうになってしまった。今までサピックスオープンで雙葉中学校の可能性二十%未満だった私がまさか合格しているとは思わなかったからだ。
長々と私の体験を書いてしまったが、これから六年生になるみんなに伝えたいのは、最後の最後まで結果がどうなるかなんて誰にも分からないということだ。最後まで諦めずに自分の力を信じて努力を積み重ねて、合格を勝ち取れ!!
そして、どうしようもない私に最後まで力を貸して下さった沢山の先生方、本当にありがとうございました。一生忘れない楽しい一年間でした。

走り続けた中学受験:遠藤 恒希

進学先:開成中
その他合格校:渋谷教育学園渋谷中・海城中・広尾学園中(医進サイエンス)・広尾学園中(インターSG)・栄東中(東大特待)

僕は元々サピックスに通っていましたが、六年生の春頃からエクタス吉祥寺校の小島先生のスーパー講座を受講し始めました。
最初は第二志望の渋々の過去問をやっても漢字や知識を落とし、記号問題の正答率は四割ほどしかなくて記述も書けなかったので、サピックスでは一時期偏差値が40台まで落ちましたが、約一年スーパー講座で記述問題を見てもらう中でまず選択肢は本文と選択肢の部分部分を照らし合わせて考えること、開成の記述では文末→問題に対する直接的な答え→分かりやすくしたりその根拠を述べる…という風に後ろから考えて書くと良い、と小島先生に言われました。
算数の金子先生には質問に行く中で展開図の問題は頂点を決めて組み立てて考える、と言われ、開成の本番では最後の大問に切断が出て金子先生の助言を意識しながら解くことができ、正解できました。
久道先生には夏前から毎週土曜日にサピックスの問題などの解説を、僕が理解できるまでとことんしてもらい、とても理解が深まった上に、1月に入ってからのラストスパートは毎日午前中に過去問を解きに行き続ける中で理科の得点が夏までは40点台だったのが、最後には65点前後を安定して取れるまでに成長し、試験に臨めました。
試験の一週間前からはあまり無理をせずによく寝て、直前は今までの基礎を固めることができました。これから受験をする皆さんも、試験では今まで努力を山ほどしてきた自分を信じて頑張ってください。
最後となりましたが、理科の久道先生、国語の小島先生、算数の金子先生、他のエクタスの先生方も最後まで応援してくれてありがとうございました。

合格を掴み取れ!: 荻野 優輝

進学先:麻布中
その他合格校:本郷中・栄東中(東大特待)

僕は小3の時にエクタスに入って、国語と算数の授業を受けていました。エクタスの国語の長文記述や、算数のエクタスオリジナルプリントは、今までやってきた「勉強」とは全く違うもので、面白かったです。
そして、4年生の授業が始まると、相馬先生の理科の授業はとても面白く、また、白田先生が授業中に数字を「1匹」と呼んでいた時に笑ってしまいました。理科のクラス分けテストでは池袋校1位を取ることも多く、プレ講座にも招待されて、楽しく勉強できていました。
しかし、もうすぐ小5になるというときには、国語や算数の成績が下がり、当時志望していた筑駒・開成のような最難関中学校には到底敵わないような成績が続きました。その後、算数は高得点を取って上のクラスに戻ることができましたが、国語は上がったり下がったりの不安定な成績が続き、それに加えて社会で歴史の授業が始まると、クラス分けテストで半分の得点しか取れず、とても悔しい気持ちになりました。でも、それをきっかけに、歴史の授業プリントを口頭で何度も復習し、次の歴史テストでは20人弱いた生徒の中で、真ん中くらいの順位になることが出来ました。山﨑先生からも「なかなかいいじゃないか」と言ってもらえたし、苦手なことも、努力すればできるようになるのだという自信に繋がりました。
そして国語は池袋校トップの成績で上のクラスに上がり、小6に入りました。筑駒必勝特訓講座の開講テストでは、2回とも合格でき、実際講座に通ったのも、池袋校で僕だけだったので、得意な気分でした。実は、僕が麻布中学を志望し始めたのは4月からで、筑駒と開成を受けると共倒れする可能性がある、麻布中学の問題の方が自分には向いているのではないかという白田先生からのアドバイスからでした。PA麻布が始まると、国語や理科は普段のように高得点が取れたのですが、算数は不安定で、得意である社会は10点台(40点満点中)を取ることがありました。点が悪かったことを悔しく感じたことや、担当の松本先生からの「問題を覚えている子は強いです」というプリントへのコメントをきっかけに、本番前まで社会の過去問の問題と模範解答を読み返しました。
そして迎えた試験当日、全く緊張していませんでした。国語は手ごたえがありました。算数は難しく、全くできた気がしませんでしたが、仕方ないと思い、最後の社会の確認をしてから試験に臨みました。社会では、教育をテーマにした問題で、過去問の類題が出題されており、10分も余ってしまいました。理科は最後の1問、記述の途中で時間切れとなりましたが、いつものように高い点がとれているだろうと期待しました。そしてエクタスでの振り返りでは、算数は白田先生も難しいと言っていた上、その他3教科は良く出来ており、合格に確信を持てました。そして合格発表の時、自分の受験番号を見つけた時、嬉しかったのですが、それ以上に、やっぱりと思ってしまいました。実際、外部模試でも、ほとんどの場合、合格可能性が80%になっていたし、過去問でも4科合計で7割以上合格最低点を超えていたため、自信があったのですが、白田先生からのアドバイスがなければ、合格はつかめなかったのだろうなと感じています。筑駒では算数の大問1に手も足も出ず、不合格となってしまいましたが、所詮どんなに勉強できても筑駒に受かるのは簡単ではないし、自分の力を出し切れた気がしたので、仕方ないと諦めることができました。これから受験をする人たちには、合格できても、出来なくても後悔の無いように勉強をして欲しいと思います。
最後に、僕を最難関中学に導いてくれた先生方、ありがとうございました。

楽しかったエクタス:小原 一真

進学先:開成中
その他合格校:渋谷教育学園渋谷中・渋谷教育学園幕張中・西大和学園中・愛光中・海城中

自分は3年生の終わり頃に入塾しました。その後、4・5年生のときは自分なりには勉強をがんばっていたもののサッカークラブの活動が忙しく、あまり勉強時間はかけられず、特に理科の成績が低迷していきました。そして、6年生の春のサピックスオープンでは理科Aで偏差値35をとってしまったり、国語では語彙力や漢字力のなさから成績は伸び悩んでいました。しかし、蛯名先生との楽しい授業を積み重ねる中で、少しずつ国語が好きになり、実力がついてきているように感じることができました。
6年の秋になりPAがはじまって過去問演習がはじまると、最初は開成の過去問で理科・社会で悪い点ばかりとってしまい悔しかったです。しかしPAでの勉強はとても楽しく、小島先生や松本先生の話は面白かったし、川島先生や清水先生の授業では緊張感があって良かったです。通常授業では、理科で忘れ物を2回連続し松井先生にしかられ、それからは忘れ物をしないように意識をして勉強への取り組み方をかえると、理科の成績は段々と上がっていき秋のサピックスオープンでは偏差値が10伸びるなど結果が出てきました。しかし、全体の成績は、6年の夏以降それまで圧倒的に得意だった算数で凡ミスがとても増え、徐々に落ちていってしまい、段々と自信を失っていきました。
そこで、12月から朝のルーティンをしっかりやることや、朝から集中力を高めることに取り組むなど、最後の追い込みにのぞみました。そのかいあってか、1月になり初戦の西大和では算数が難しく動揺したものの無事合格。さらに愛光と渋幕からも合格をいただけ自信がついてきました。算数の調子が段々と上がっていったので安心しました。
そして迎えた2月1日、算数ができ、社会でも前日に大野先生に言われた23区に関する問題が出て安心して解けました。2日の渋渋と3日の海城でも実力を発揮でき結果的に全勝で終えることができました。このように開成に合格でき、最後に結果を出すことができたのは、勉強が大変でつらくてもエクタスが楽しかったからだと思います。一緒に切磋琢磨できた友達との時間は心の支えになっていたし、何よりエクタスの先生方の授業が本当に楽しかったです。雑談を交えて楽しく授業をしてくれた蛯名先生、いつもわかりやすく教えてくれた滝澤先生、理科の楽しさを教えてくれた松井先生、いつも楽しくしかってくれた大野先生、そしてPAでわかりやすく教えてくれた清水先生、小島先生、川島先生、松本先生、今まで本当にありがとうございました。

エクタスで掴んだ合格:笠原 琳人

進学先:武蔵中
その他合格校:海城中・東京都市大学付属中(特待)

僕は新小学6年生になる2月にエクタスに入塾しました。
武蔵中は4年生のときに文化祭を見に行った時に小川が流れていてグラウンドも広く、自由な雰囲気でここに行きたいと思いました。
また筑駒中も5年生の時に文化祭に行った時に絶対行ってみたいと思い、筑駒中が第一志望校、武蔵が第二志望校になりました。
僕は9月から筑駒PAを受講していました。
そこで算数の滝澤先生には算数の問題の解き方を教わり、過去問の点数が9月から12月にかけて上がっていきました。
また川島先生の理科の記述の特訓を受けたことによって、理科を丸暗記するのではなく、理由もふまえて覚えることができました。
次に国語の小島先生の筑駒中の過去問の添削によって国語を解く力が着実についたと思います。
さらに社会髙原先生は重要なこと(重要でないことも)を面白く教えてくれたので社会の授業が楽しくなりました。
1月は帰国生入試で東京都市大学付属中と海城中、聖光学院中を受験しました。残念ながら聖光学院中は不合格でしたが東京都市大学付属中と海城中が合格だったことは心の支えになりました。
結果的に2月校の聖光学院中と筑駒中は不合格でしたが、武蔵中に合格できたのはエクタスの先生たちと校舎の愉快な仲間たち、両親のおかげです。
最後になりますが校舎の仲間達、蛯名先生、滝澤先生、松井先生、大野先生、PAの小島先生、髙原先生、川島先生、筑駒必勝特訓講座の佐藤先生、今までありがとうございました。お父さんもお母さんも今まで支えてくれてありがとうございました。

ヤギになる:川端 壮哉

進学先:武蔵中
その他合格校:立教新座中・栄東中

僕は今、中学受験を終えた。そこで僕は「今まで」の3年間を振り返ってみた。その苦しさや嬉しさが混じり合う3年間を「今から」受験する君たちに伝えようと思う。僕は4年生の時に栄光ゼミナール国分寺校に入塾し、最後のアタックテストで成績が伸びたことで、武蔵中学校を目指すことにした(親から武蔵中学校ではヤギが飼育されていると言われたからでもある)。
5年生からは栄光ゼミナール武蔵境校の難関クラスに通うようになった。また、6年生の前半は栄光ゼミナール目黒校で最難関ゼミを受けるようになった。
6年生の秋になってからエクタスの武蔵PAに通うようになった。武蔵PAは参加者数が多かったため、IクラスとIIクラスに分かれていた。このクラス分けはサピックスオープンと志望校別サピックスオープンの偏差値によって決まっていた。僕はサピックスオープンでの偏差値は50をきっていて、この原因は模試の解き直しをしていなかったことにある。そんな僕のことを栄光ゼミナール武蔵境校の難関クラスで算数を教えていた政木先生は叱って、このままではまずいという精神を注入してくれた。このことによって僕は言われたことだけをするひつじではなく、自分で考えて行動するヤギにならなければならないと思った。その甲斐もあってかサピックスの偏差値は、4教科では9ポイント、算数では15ポイントも上がった。クラスもIクラスとなり、年末年始に武蔵の算数の間違えた所を直しまくったことで、栄東・立教新座の算数で成功した。そのうえ、武蔵では算数を9割ほどとった状態で合格することができた。
僕を合格へ導いてくれた栄光ゼミナール国分寺校・武蔵境校・目黒校、武蔵PAの久道先生、平岡先生、田子先生、山崎先生、白田先生、宮下先生、本当にありがとうございました。
最後にここまで読んでくれた君たちへ。僕はこのような受験をしたが、君たちがどのような受験をするのかは分からない。だが、自分の憧れの志望校をせいいっぱい追いかけてほしい。いつも頑張っている君が合格を手にできることを祈っている。

ぼくが合格するまで:来栖 慧典

進学先:早稲田中
その他合格校:武蔵中・攻玉社中・東京都市大学付属中・栄東中

ぼくは、4年生の時、少人数であることを理由にエクタスに通い始めました。
そのときに自分は理社が得意なことと、国語が不得意なことに気づきました。そのため、アタックテストという塾内模試では理社で8割前後とれても、国語で5割前後ぐらいしかとれず、結果があまり振るわなかったです。
そのことは一旦棚に上げ、ぼくの志望校について語りたいと思います。
5年生の時、ぼくは、自由な校風や交通の便の良さから麻布を第一志望にしました。
しかし、SO(サピックスオープン)では、合格可能性が50%と不安要素がありました、麻布が第一志望のまま6年生になりました。
しかし、深川先生はこうおっしゃいました。「君は麻布というより、武蔵が向いている。」その言葉は心に深く刺さり、志望校を変えるきっかけとなり、第一志望を武蔵に変えました。
夏休みがやってくると、ぼくは、「絶対に武蔵に受かるんだ!」という気持ちで教材の間違えたところを完璧にしました。
すると合格力判定SOではほとんどの回で武蔵の合格可能性は70%台を保てるようになりました。つまり、夏休みのこの取り組みを通してぼくは成績を上げることに成功しました。
9月に入り、武蔵PAが始まりました。算数では最高96点をとり、難易度が高く「最凶最悪の年」と言われる2013年でも70点をとりました。しかし、記述問題が多い学校なので、国、理、社の三教科では点数があまりとれませんでした。
そこで、理社でとれるようにし、国語もそれなりにとりながらも、国語の穴を他の三教科でカバーしようとしました。
そのために、ぼくは、このようなことをしました。
社会・・・基本知識は必ず正解し、記述はこれまで習った知識とつなぐ。
理科・・・基本知識を必ず正解するために、お土産問題を後回しにする。
おかげで理社は安定し、合格点に近づきました。
そして本番には、深川先生の言葉で自信を出しますが、国語で空らんを作ってしまったので、合格したときは「よかった」と思いました。
余談ですが、少しおちゃらけキャラの自分のことを、深川先生は「この子は授業を聞いてないフリして聞いているんだよ」と言ってくれたときはうれしかったです。また、得意科目をさらに伸ばしてくれた齋藤先生のお蔭で、ぼくは全勝をなしとげることができました。今まで大変お世話になり、合格を導いてくれた深川先生、齋藤先生、池田先生、長岡先生、白田先生、平岡先生、田子先生、山﨑先生、久道先生、大矢先生、本当にありがとうございました。

チャレンジして良かった:小池 唯斗

進学先:武蔵中
その他合格校:高輪中・立教新座中・栄東中(東大特待)

私は小学三年生から栄光ゼミナールに通い始めた。学校と違って、静かに集中して勉強できるのがよかった。
武蔵を志望した理由は先生に勧めていただき、説明会などに行って良いなと思ったからだ。だけど難しそうだなとも思った。
六年生から最難関ゼミに通い、九月にエクタスのPAに通えることになった。しかし、私にできるか不安だったので、最初は断ろうと考えていた。でも栄光ゼミナールの先生や両親と話をして、誰でもPAに通う事ができるわけではない、通いたくても通えない人もいるとわかり、PAに通うことに決めた。
PAでは武蔵の過去問をたくさん解いた。算数と理科はまあまあできたが、社会はほとんどできなかった。自宅でも解き直しをがんばり、だんだんと点数が取れるようになってきた。国語はずっと半分くらい。でも今考えると、こんなにたくさんの過去問は自宅で、一人で解くことはできなかっただろう。PAでエクタスの先生に教えていただき、同じ武蔵を目指すみんなと一緒だったからできたと思う。
武蔵の入試当日は緊張した。でも終わってから手応えを感じることができた。
結果発表の時も緊張した。自分の受験番号を見つけた時は、本当に嬉しかった。
難しそうだと諦めそうになったけれど、チャレンジして良かった。

合格は逃げなかったから:河野 瑠斗

進学先:武蔵中
その他合格校:海城中・立教新座中・栄東中

僕が武蔵を目指すようになったのは、四年生の時、志望校決めようかな~、と、文化祭に行った時に「ここに通いたい」と思ったからです。それからずっと武蔵を目指しました。
六年生になると、僕はNNなどの模試を受けるようになり、六年後期からは、PAも始まりました。このくらいの時期になると、国語にものすごく危機感を感じました。なぜなら、国語が「ゴミ」といっても過言ではない程できなかったからです。SAPIX武蔵オープンで偏差値30台をとり、また、PAでやった武蔵の過去問も三十点、四十点(受験者・合格者平均はともに六十点台あたり)を取るほど。その危機感から僕は、国語を、どの教科よりもやりました。しかし、僕は国語に打ち込んでいるうちに、理・社・算ができなくなってしまうと考え、維持できるよう、最低限はこなしました。
そんな感じで、年末あたりには、国語に打ち込んだ成果が出たと思いました。なぜなら、武蔵の国語で五十点台を取れるようになったからです。ただ、それはあくまで物語文。説明文はまだまだ「ゴミ」でした。そのため、気を緩めたりはしませんでした。
武蔵の前に僕は栄東と立教新座を受験しました。栄東は難関クラス、新座は合格ではあったものの、どちらも微妙でした。それで勉強のやる気に火がつき、直前期は勉強三昧になりました。理社一割、算数二割、国語七割のバランスで勉強しました。一月三十一日には国語の山本先生がアドバイスをしてくれました。本番ではそのアドバイスを意識して問題を解きました。
二日後の二月三日。僕は海城中学の入試を終え、武蔵の結果をみました。すると、合格者リストに自分の番号がなく、ショックでした。すると、母からおめでとう、と言われ、僕は「ハ…?」と思い、もう一度見ると番号があり、本当にうれしい気持ちになりました。たしか十一、十二月くらいに金子先生が言っていた、苦手なことから逃げなかった人が合格する、的なことを信じてやったから合格を勝ち取れたのだと思います。
入試を無事終えられたのは、吉祥寺校の久道先生、髙原先生、金子先生、平岡先生、山本先生、小島先生、PAの白田先生、宮下先生、田子先生、山崎先生のおかげです。ありがとうございました。

楽観的に受験を走り抜け:小橋 美咲

進学先:桜蔭中
その他合格校:渋谷教育学園幕張中・西大和学園中・豊島岡女子学園中・洗足学園中・栄東中(東大特待)

私は五年の夏前にエクタスに入塾しました。オリジナルのプリント教材が主軸であるエクタスの勉強方法に慣れることができず、大変でした。しかし、少しずつですがそれに慣れていき、明るいクラスにも溶け込むことができました。課題をこなし授業を受けていて気づいたら六年になっていた気がします。和気あいあいとしたクラスで六年の前半も過ぎていき夏期講習になりましたが、天王山と言われる夏に私はあまり本気の力を出し切ることができませんでした。そして、九月からPAも始まりました。PAの先生達は授業も面白く、リズム良くスタートは切れました。そこから迎えた十・十一月。模試の結果もどんどん低迷していきました。(それでもあまり落ちこみませんでした)さすがにやばいのかもと思い、大矢先生からもらった大量のプリントをこなし、桂先生と国語の基礎を確認したら、成績は少しずつ回復していきました。しかし、PAの算数の過去問で恐ろしい点数をとり、(低いという意味で)国語では漢字で二十点も失点などと無惨な結果もありました。あっという間に十二月も過ぎ、一月になりました。とは言っても私は一月六日から入試が始まったので、過去問をたくさん解く暇もなかったです。そして初日の西大和を受けましたが、国語の手応えはまだあるのに、算数がさっぱりしない感じでした。(でも楽しかった!)一月三校目の洗足の帰国入試の英語では、終了時間二十秒前に、私は慌てました。解答欄を間違えていたのです‼(しかも六つも)急いで三つは書き直せましたが、心の中では「ヤバイぞ…」しか考えていませんでした。渋谷幕張でも国語で最初の漢字を度忘れしましたが、諦めずに後ろの教科で粘ることができました。そして迎えた二月一日。あまり緊張はしていませんでしたが、やはり今までの努力の集大成だと思うとぞくっとしました。いざ試験に臨むと国、算、社(理科も少し)の形式が変わり、問題数や順番の変化があったため、驚きました。このようにそれぞれの学校の入試で経験した色々なことを生かして、六年間の中高生活を送ろうと思います。洗足の英語入試で解答欄をミスり、渋谷幕張の国語で最初の漢字が思い浮かばず、桜蔭の理科で焦って存在しない記号を書いてしまった私が全勝で終われたんですから、受験生のみなさんもムリだなんて思わないで下さい。入試当日で何かの科目でやらかしたら、深呼吸して外をながめると良いです。(頭が良さそうに見えます)最後に、理科が苦手な私に親身に指導してくれた深川先生、徹底的に私の社会を鍛えてくれた齋藤先生、質の高い算数を教えてくれた長岡先生。社会の教養や選択肢の解法をたくさん教えてくれた桂先生、私の入試運を高めてくれた池田先生、算数を少しでも得点源にしようとしてくれた大矢先生。いつでも優しく教えてくれた平岡先生、私をエクタスに誘ってくれた中村先生。そして、桜蔭PAの竹本先生、滝澤先生、久道先生、山﨑先生、うるさくも私の疲れを吹き飛ばしてくれたたまプラの仲間達、本当にありがとう。エクタスを忘れません‼

ピンチはチャンス:権田 凪

進学先:武蔵中
その他合格校:海城中・桐朋中・東京都市大学付属中・栄東中

僕は、小4から小6夏期まで栄光ゼミナールに通い、小6の後期からPAに参加したので、他のエクタスの生徒と比べると、だいぶ遅めのエクタスへの加入でした。当時通っていた栄光の先生から、
「エクタスはなかなかゴリゴリだよ。」
と聞かされていたので、レベルの高いクラスメイトについていけるのか、先生は恐くないのか、と不安で不安で仕方ありませんでした。しかし、僕のそんな心配はすぐに吹き飛びます。初めて解いた過去問が、衝撃的に点数が低かったのです。僕は当然、ここまでできないのか…というショックを受けましたが、同時に自分の中で、絶対に合格して、夢・武蔵生活を掴んでやろう‼という決意が固まっていくのを強く感じました。これをきっかけに僕は奮起し、過去問や通常の授業にもこれまで以上に全力で取り組み、徐々に過去問でも点数をとれるようになりました。そうして武蔵の受験本番。僕は今までやってきたものに自信を持ち、自分にできる全力を出し切れたと思います。…なんて、かっこいいことを言ってしまいましたが、やはり不安はあり、母から武蔵の合格を伝えられた時は安心と喜びから泣きながら笑ってしまいました。(今思い出すとゾッとする。)
そんな僕から、これを読んでいる未来の受験生、その保護者の皆様に伝えたいことが一つあります。それは、「ピンチはチャンス」ということです。(ありきたりでごめんなさい。)受験生として勉強する中で、自分の思うような成績を出せなかったり納得できる結果が出せなかったりすることがあると思います。しかし、それはあなたを大きく成長させてくれるチャンス。なぜ上手くいかないのか考え、それを次に生かしてみてください。あなたたちは、自分で思っている以上の大きな可能性を持っています。最後に、僕に最後まで向き合い、教えてくれた白田先生、田子先生、久道先生、山崎先生、並びに栄光ゼミナール成城学園校の先生方、本当にありがとうございました。

エクタスで最後の追い込み:T.S

進学先:麻布中
その他合格校:渋谷教育学園渋谷中・渋谷教育学園幕張中・愛光中

僕は3・4年の時の期間講習でエクタスにお世話になったような記憶がある。
4年生の夏からはサピックスにいてまぁまぁの成績を残していてサピックスでα1に在籍していた。特にガリガリ勉強しなくても5年の夏くらいまでは一番上のコースにいることができたので、すっかり油断をしてしまっていた。夏休みはYoutubeにNetflixと流行りのフォートナイトやマリオメーカーというゲームで時間を溶かしてしまっていた。
算数の基礎も、暗記をしなければいけない理社もすっかり放置。夏休み明けにはαどころかすっかりコース順位をさげてしまい、母から大目玉をくらってしまった。算数だけは自力でなんとか上げることができたが、6年の後期・・・・国語の偏差値が足りていないことに気づき(55くらい)、慌ててエクタスに電話をした。蛯名先生に過去問をやっては直し、やっては直しを繰り返し最後のサピックスオープンでは国語偏差値70を叩き出すまでに成長した。入試本番でも国語はばっちりだったと思う。
冬期講習の前あたりに社会をやっておらず、こんな直前なのに大丈夫か? オレ? と思ったが、社会をどうにかするには自分だけでは無理!と思いまたまた、大野先生に泣きついた。先生不在の時には自習室を借りて10回くらいはやったと思う。エクタス通常生が利用しているという『毎日の社会』を12月半ば頃にどんっと一式渡され、それを毎日5Pずつやりこんだ。知識は断片的で穴だらけだったが、最後の最後の追い込みでなんとかなったか? 間に合ったか? という感じに仕上がった気がする。
1/22 渋幕の本番。当日前泊したニューオータニ幕張の部屋の窓からきれいな朝焼けと富士山が見えた!縁起が良い! オレは受かる! と思った。実は緊張のあまり睡眠時間があまり取れていなかった。試験終了後、賢そうな男子たちが「おれ、算数満点かも? 理科むずいよな~」とかいいながら出てきて、本当に大丈夫か?と思ったが、先生方との特訓もあり国語は非常に出来がよかった気がした。事前に渡されたプリントで文学史もばっちりだった。合格だった!
2/1 大本命の麻布中。天気は快晴。寒いが試験日和だ。ほどよい緊張で国語も算数も合格点クリア。理社はどうだろう?大きくはずさなければ受かっているはず。実は受験番号1番という縁起の良い番号だった。Webを開いたときに真っ先に合格がわかった。
2/2 渋渋本番。同級生たちがたくさん受けにきていた。知った顔がいっぱい。テストは簡単に感じた。実は受験番号を間違えて先生に伝えていたために落ちたと思われ心配されてしまった。
2/3 筑駒。手ごたえはあったのだが、さすがにもっと対策万全の受験生が多く合格はできなかった。
しかし第一志望の麻布中学は手堅く合格! 振り返ってみれば最後の追い込みが効いたなぁと思う受験だった! 怠惰な僕を叱咤激励し続けてくださった先生方、ありがとうございました!

私の中学受験:崎村 美月

進学先:女子学院中
その他合格校:豊島岡女子学園中・洗足学園中・浦和明の星女子中

私は、小学4年生の始めにエクタスに入塾しました。4年生や5年生のころは、社会で都道府県や都道府県庁所在地、歴史の年号、その他の単語を覚えるのに苦労したり、宿題に追われたりしましたが、特に大きな危機を感じることはありませんでした。そのため、最難関を受験することがどんなに難しいことかということを理解しないまま、6年生を迎えてしまいました。
そのせいか、計画通りに勉強するのが苦手で、誘惑に弱いという悪い癖が改善しなかったために、6年生のゴールデンウィークは理科のコンプリーションを終わらせることができず、天王山といわれる夏休みは他の人よりも演習量が少なくなってしまいました。その結果、9月最初のサピックスオープンで得意な理系科目の成績が下がり、深川先生にこのままだと落ちるかもしれないと警告されました。その後大矢先生と算数の復習をしたところ、取れるはずの問題を取りこぼしていることが分かり、ケアレスミスをできるだけ減らそうと気を引きしめた結果、次のサピックスオープンで盛り返すことができました。
そしてついに1月。ホテルでリラックスしてから行ったためか、1月校は無事に合格しました。1月校が終わると、大矢先生と2月校の算数の過去問をかなり昔までやったり、先生にもらった社会のコンプリーションの確認テストや国語の漢字テスト29枚まとめをすべて終わらせるなどして、自分に自信をつけました。
2月1日の前々日、卒業生の先輩がエクタスに来て、前日の過ごし方や当日あった実体験、腕時計は必須だということを教えてくれました。前日は、いつも通りの雰囲気で6年のメンバー全員で「合格祈願」と書いてある紙にお祈りをして、帰りには同じ校舎の友達と一緒に好きなVTuberのシールつきお菓子を買って帰りました。
そして迎えた2月1日当日。女子学院は、国理社の手応えはあったものの、算数が難しく不安になりましたが、帰りにエクタスに寄り、大矢先生から今年の算数は難しかったと聞いて少し安心しました。2月2日に洗足を受け終えた後、女子学院の合格がわかった時はとても嬉しかったです(一緒に結果を見た母の方が喜んでいましたが)。その後、洗足と豊島岡も合格し、全勝で終えることができました。
最後に、私が全勝という結果を残すことができたのは支えてくれた周りの人達のおかげです。エクタスたまプラーザ校で指導してくださった深川先生、齋藤先生、池田先生、長岡先生、平岡先生、大矢先生、中村先生、桂先生、少しの間でしたがPAでお世話になった山﨑先生、佐藤先生、ずっと支えてくれた家族、私の話に付き合ってくれて一緒に頑張ったエクタスの仲間達、本当にありがとうございました。今これを読んでいる受験生の皆さんも、自分を信じて最後まであきらめずに頑張ってください。

エクタスでつかんだ合格:塩澤 名央

進学先:駒場東邦中
その他合格校:暁星中・栄東中

「よっしゃー!!」と大声を上げ、右手を突き上げて駒場東邦中学校合格を手にして喜んでいる僕の姿が、両親のスマホに記録されている。
僕は小学1年生の冬からエクタスに通った生粋の「エクタスっ子」です。当初の中学受験がまだ先に感じられる頃から、5年後のこの合格を勝ち取るまでには紆余曲折がたくさんありました。
低学年の頃は、友達に会いに行くような感覚で楽しく通塾していました。が、4年生の頃に、なんとなく志望していた中学とエクタスの目指す中学とに隔たりが生じ、転塾したこともありました。しかし、久道先生の理科と髙原先生の社会に勝る面白い授業には出会えず、すぐにエクタスに戻ってくることになりました。出戻りの僕を先生方や友達のみんなが温かく迎えてくれました。またまたエクタスの良さを感じました。
とはいえ、志望校が絞れないままの勉強になりました。実は文化祭に行って一番楽しかったのが海城中で、次が駒場東邦中学でした。悩んでいる時は何度も面談してもらい、その度、的確なアドバイスをもらいました。6歳から11歳までの僕を指導して下さった吉祥寺校の先生方は口を揃えて「海城の校風と入試問題よりも、駒場東邦・武蔵中が合う」と勧めてくれました。
秋になっていよいよPA開始の直前に久道先生・平岡先生のアドバイスを信じ、駒場東邦中学受験を決心しました。かなり遅い決断だったとは思いますが、先生がフルサポートして下さる安心感があり、不安はありませんでした。
過去問を解くと、やはり駒場東邦中学の独特な算数に手を焼きました。作図は面白いけれど、理解不能な問題もありました。PAで各教科の傾向を完璧に把握し、時間配分にも慣れました。
冬休みに入ってからは、久道先生と髙原先生に「理社はいいから算数をしてね」と言われ、理社の時間を算数に当て、平岡先生に指導を受ける機会が増えました。国語は様々な学校の過去問を家で解き、山本先生に週2で解説してもらうようになりました。山本先生のおかげで長い記述問題もどんどん得意になりました。そして、ラスト数日は算数に的を絞りました。この戦略が功を奏したと思います。
エクタス吉祥寺校の先生方はじめ、PAの先生方の期待に応えるべく、2月1日を迎えました。支えてくれた人達からも頂いたたくさんの御守りや学業成就の鉛筆たち、皆の思いが詰まった応援BOOK、そして久道先生の「けっぱれ」カイロに暖められて、僕は持つ力全てを発揮することができました。テストの後、受かっているな、と思えるほどでした。これも先生方を信じて、自信をつけてもらったおかげです。エクタスっ子で良かった!!今までありがとうございました。皆、頑張れ!!

最後まで楽しんで勝守を味方に:島根 理行

進学先:筑波大学附属駒場中
その他合格校:灘中・ラ・サール中・武蔵中・栄光学園中

僕が中学受験をはっきり意識し始めたのは、5年生の夏ごろだったと思う。最後まで勉強や模試、そして受験を楽しめたのは幸運だった。叶うなら合格したすべての学校に通いたい。
数字が好きで、4年生の春ごろから算数の専門塾に通い始めた。そして5年生の9月、弱点の国語を克服すべく、エクタスの小島先生の授業を受けさせてもらうことになった。少人数の授業は毎回とても楽しく、模試で国語の成績は上がったが、理科社会は進度が学校と全く異なり、特に社会の成績は悲惨だった。そこで、6年生から理社を追加することにした。課題の量に最後まで苦しんだが、月・金はエクタス、火はヴァイオリン、土は算数塾というルーティンに体は慣れていった。9月からは週末に隔週の算国スーパー講座、PA武蔵の理社を受講して、段々受験生らしくなった。
6年生で行った武蔵・栄光学園・筑駒の文化祭の中でも筑駒生の様々な仕掛け(最初は相手を絶対に勝たせるじゃんけんやレベルの高いお笑い)に感心した。9月には武蔵・栄光学園・筑駒・そして春休みに旅行で訪問した鹿児島ラ・サールを志望校に決めた。さらに11月ごろ、受験科目に社会のない灘中学校も受けてみようかという話になり、冬休みを迎えた。
灘と筑駒に関しては、そもそも過去問を解き始めたのが年明けだった。灘は、2回目以降合格点に届き始め(甘くめでたい自己採点によるものだが…)、いけるかも、との感触を得た。算数のコツをつかんだこと、理科の苦手分野(地学・生物)の割合が低いこと、国語で苦手な物語文がほとんど出題されないことが大きかった。筑駒に関しては、1月中旬の灘中の受験が終わってから本格的に過去問を解き始めた。こちらもこの時期になってようやく社会で得点できるようになってきた。
1校目の灘中はやや緊張し、インフルエンザのお土産付きとなった。6年間の無遅刻無欠席は途絶えたが、合格を知った時はおばあちゃんと喜び合った。灘中合格で気持ちが楽になり、2校目のラ・サールは試験を楽しめた。
そしていよいよ東京・神奈川の中学受験解禁日だ。2月1日は武蔵、2日は栄光学園、3日は筑駒を受験した。武蔵で間違えた漢字(「調停」)が栄光でも出題され、見直さなかったことを後悔した。筑駒は準備対策が十分とは言えなかったものの、感触は割とよく、苦手な詩の問題も出題形式が変わり、ひょっとしたら…との期待を持てた。合格連絡の電話の向こうで、机か何かを叩きながら喜んでくれた久道先生や、職場でつい声が出たという父親ほどは興奮しなかったものの、合格発表画面に自分の受験番号を見つけたときはやはり嬉しかった。
最後に、僕の勝守を紹介したい。小島先生お手製「置くとパス」タコの写真、久道先生からの激励カイロとチョコ、幸せの黄色いズボンだ。エクタスの先生方、授業を延長してまで親身にご指導下さり、本当にありがとうございました。

先生方とともにつかんだ合格:嶋村 日和

進学先:都立小石川中
その他合格校:桜蔭中・渋谷教育学園幕張中・豊島岡女子学園中・市川中・東邦大学付属東邦中・栄東中(東大特待)

私は、算数がとても苦手だった。ひらめきが素晴らしいわけでもなく、むしろ発想力は乏しい方だ。そして何より、いわゆる凡ミスが非常に多かったのだ。計算ミスひとつとってもさまざまな種類があり、書き間違い、繰り上がりのミスや繰り下がりのミス、掛け算の暗記ミスなど、さまざまだ。また、計算ミスや比の順番ミスなどから、植木算や日数計算の+1など、多種多様である。当然、ミスを無くさないと点数は上がらない。しかし、私は意地をはって自分で解決しようとしていた。もちろんミスはなくならず、過去問の点数は壊滅的なまま上がらなかった。そこで、滝澤先生の言うことを全てやってみようと思った。「入試のとき、国語の試験終了後に読んで」と渡していただいたプリントを、全てやった。猫背をやめて、左手をきちんと添え、綺麗な字を書く。一見関係なさそうに感じるのだが、やっていくと、確かにミスが減るのだ。なぜもっと早くからやらなかったのだろうと後悔した。そこから過去問の点数がのびていき、1月校は少し緊張しミスが増えてしまったものの合格することができた。そして肝心の桜蔭は、おそらくミスをひとつもしなかった。答え合わせが終わり、ミスをしなかったことがわかった時は、本当に頭が下がる思いだった。
また、2番目に苦手な社会では、先生に言われて年号に集中したところ、並び替えがぐっと解きやすくなり、時間を短縮することができて、全体的な点数アップにつながった。理科でも、正規の解き方にこだわることなく先生に教えてもらった定理を利用すれば、早く正確に答えを出すことができた。
そして、国語では、先生が教えてくださる「桜蔭の国語」というポイントを暗記して使うことで、桜蔭の特殊な記述にも対応することができるようになった。マス目のない解答欄に困惑することも、細かく多い条件に狼狽することもなくなった。当日、解答用紙を開き過去問通りの解答欄を見た時に、安堵のため息が出たほどだ。
このように、先生方のアドバイスは素直に聞くべきだ。塾に通った時点で、私の受験は私だけの受験ではない。先生方と一体となって、頑張っていくものなのだ。意地をはらず、先生方を信じ努力を積み重ねれば、力はつく。きっと許しがたいミスばかりしていたであろう私を見捨てずに何度も教えてくださり桜蔭に合格させてくださった、竹本先生、滝澤先生、久道先生、山崎先生、本当に、本当に、ありがとうございました。
これを読んでいるあなたも、先生方と共に合格してほしい。応援しています、頑張ってください。

ぎりぎりまで頑張った先にあったもの:新庄 数馬

進学先:麻布中
その他合格校:浅野中・東京都市大学付属中・栄東中

ぼくは内心駒東にいきたかったのですが、長岡先生に麻布を強く勧められ、栄光と麻布を目指すことにしました。校風が自由であり、自由闊達な僕にはとても向いているように思われたからです。また、麻布の活気や広い図書館に惹かれるようになり、多少校舎が汚くてもいいと思えるようになりました。
僕は6年の前半までは好成績を保つことが出来ました。一生懸命やらなくても成績が保ててしまっていたため、怠け者のようになってしまった僕は最低限の宿題だけをやるようになり、自分が怠けていることにも気づかないほどにのんびりとしてしまいました。
6年の後期に入ると、急に成績が振るわなくなりました。11月のサピックスオープンでは、麻布はおろか、東京都市大付属中も合格率20%なってしまいました。特に算数は、基本問題も取れておらず、何とかして算数の成績を上げなければと思いました。12月からは、算数を徹底的に強化していきました。忘れてしまったところのやり直しは特に丁寧に行い、解説を電車の中でも熟読して、解法を頭の中に叩き込みました。それまでサボっていた計算トレーニングも(絶対にマネしないでください)毎日やるように心がけました。
さらに、芝の過去問を本来50分のところを、60分の時間をかけることで基礎を固めるという長岡先生の作戦を実行し、着実に力を伸ばしていきました。また、国語も偏差値が40台に落ちてしまっていたため、山本先生に一週間に8つ以上の過去問の直しをお願いすることもあり、大変ではあったものの、設問を読めないという欠点をなくすことに成功しました。そのうち、だんだんと過去問の成績も上がっていきました。ただそれでも量が足りなかったようで、第一志望であった栄光学園の入試は不合格となってしまいました。
みなさんに伝えたいことは、ぎりぎりまで頑張った先にしかないものがあるということです。結局は入試本番に決まるのですから、1ヶ月前に落第点を取っても、一度も合格点をとれたことがなくても、不安にならないことが大切です。
ちなみに試験会場でおなかがすくと大変なので、軽食を持っていくことをお勧めします。また、タイマーや腕時計も電子機器であることに注意してください。
最後になりましたがお世話になった山本先生、長岡先生、松井先生、松本先生、蛯名先生と、父、母、最後まで走り切った自分にお礼を言わせていただきたいと思います。本当に、本当に、ほんっっっとうにありがとうございました。

信は力なり:鈴木 開惺

進学先:灘中
その他合格校:麻布中・聖光学院中・栄光学園中・渋谷教育学園幕張中・巣鴨中・栄東中

僕は両親に勧められ、エクタスに入塾しました。その頃は、算数と理科は得意でしたが、国語と社会が苦手で、模試の成績で平均を下回ることもありました。それが語彙を引き出し、強化するエクタスの演習と解説で、感情を表す言葉と記述の書き方を覚えました。それに社会の授業では出来事の年代順や因果関係の分かる解説を受けました。その結果、模試でも国語は平均を切らなくなり、社会は偏差値60台に届くようになりました。おかげで初めての受験校に合格し、自信をもって他の学校を受けることができ、第一志望にも合格しました。
受験生のころ、心に留めていたのは、「信は力なり」という言葉です。国語と社会は自分に自信がなかったせいもあり、世間の常識に合わせて無難に答えたこともありました。それが先ほど述べたようにエクタスで記述力や語彙力が強化されたことで、常識に合わせるより、自分なりに作った答えの方がよい答えになることが多くなりました。みなさんも、技術と基礎力があれば、自分を信じることが力になります。これは入試にも有効なので、当日の試験中でも自分を信じてください。
最後に、一生懸命指導してくださったエクタスの先生方、エクタスを勧めてくれ、見守り続けてくれたお母さんお父さんに感謝を伝えたいと思います。ありがとうございました。

エクタスだから掴めた合格:高橋 歩

進学先:筑波大学附属駒場中
その他合格校:駒場東邦中・聖光学院中・渋谷教育学園幕張中・栄東中(東大特待)

僕がエクタスに入ったのは小五の春だった。小四から入っていた栄光ゼミナールのアタックテストでゼミナール一位をとったことをきっかけに先生から勧められたのが始まりだ。
エクタスでは、自分よりレベルが上の友達に囲まれて、ハイレベルな環境で学ぶことができた。そして、だんだんとエクタスに慣れてきたころ、初めてSAPIXオープンを受けた。成績はまずまずで、このころ意識して目指し始めた筑駒は合格可能性が50%だった。なのに第二志望の駒東の合格可能性が80%だったことで調子に乗り、宿題を度々おろそかにしてしまった。それに気づいた先生方に活を入れてもらい、六年生へと突入した。
六年生になって、本格的に筑駒を目指そうと思い、筑駒必勝特訓講座の開講テストに行った。初回は算国が半分も届かずに不合格。二回目でなんとか受講許可が出たものの、筑駒への道のりの遠さを思い知らされた。その後、天王山である夏はあっという間に過ぎていき、ついにPAが始まった。PAの授業は楽しかったが、算数三八点、国語三一点などの悲惨な点数をつぎつぎと出してしまった。にもかかわらず解き直しが追いつかず、算数も国語も点数が取れる時と取れない時の差が開いていってしまった。
危機感を持って解き直しを進めたが、十二月の学校別SAPIXオープンでは算数が平均点以下ととても悪く、合格可能性は40%となってしまった。(つまり一度も合格可能性が60%以上になることはなかったということだ。)それでもめげずに(?)演習を続けた。このころ、エクタスの授業はすごく楽しく思えた。
そしてむかえた栄東の入試。A日程ではどの教科も実力通り出し切れ、特待合格。東大特待入試では、いつも二ケタの点数だった算数で三ケタをとったが(150点満点)、いつも三ケタ台の点数だった国語が二ケタ台になり(150点満点)、受験者平均をも下回るという悲惨な点数だった。しかし、算数・理科・社会(最高点の一点下だった)のおかげで三年特待をとることができた。その後の渋幕では、算数が失敗したと思ったが平均点が低く、合格だった。
そんな感じであっという間に一月は終わり二月に入った。一日の駒東では、算数の解答用紙に、開始後すぐ書くべきだった氏名を書き忘れ、解けた問題が途中でタイムアップになり心配だった。二日は一日中エクタスにいた。駒東の合格を確認し、苦手だった算数を十一時間解き続けた。このことが自信につながり、三日の筑駒では全力を出し切れた。そして、四日の聖光ではリラックスして取り組めた(その割には座る席を間違えた)。そして両方とも合格できた。
最後に、いつも僕のことを気にかけてくれた久道先生、ずっと丸つけをしてくれた金子先生、小島先生、山本先生、髙原先生、平岡先生、滝澤先生、佐藤先生、川島先生、ゼミナールの政木先生、ありがとうございました。
将来の受験生の皆さん。最後は自信を持って受験に臨んでください。応援しています。

算数:田中 悠

進学先:武蔵中
その他合格校:芝中・攻玉社中・高輪中・東京農業大学第一高等学校中・早稲田佐賀中・立教新座中・栄東中

小学三年生の夏期講習の時に栄光ゼミナールに入塾し、なんとか小六の九月から、エクタスのPAに通い始めた。
PA説明会や授業の時に「計算ミスは絶対に許さない」「武蔵は算数で決まる」と言われ、計算ミスが多く、算数が得意でなかった自分は不安を大きく抱いていた。
算数のPAでは初回近くで合格者平均を一度超えただけでその後は点数が思うようにとれず、武蔵の壁の高さを感じた。
社会のPAの2回目で山﨑先生から解き直しの大切さを伝えられ、やれることは最大限やろうと解き直しに力を入れた。
国語はサピックスオープンでも結果を残せていてかなり自信がある教科だったのだが、初回にあまり点数がとれず、国語への自信は砕かれた。
理科の初回授業では20点台をとってしまい、武蔵への不安は大きくなったが久道先生の「これから続けていけばどんどん点数がとれるようになる」という言葉に勇気づけられた。
PAの算数の授業では解き直しがなかなか終わらず辛い時もあったが武蔵の過去問を解くこと、そして先生の解説を聞くことが楽しみで全体として楽しくPAに通っていた。
が、12月のはじめの学校別模試で算数100点満点中18点をとってしまい、白田先生にどうしたら良いのか相談させてもらうことにした。
その時に言われたことで最も自分を変えたのは模試の結果についてではなかった、「やれるだけやれば絶対落ちる気がしなくなるから」という言葉だった。
この時期から算数では授業内に今まで間違えた問題の解き直しをすることになっていて身構えていたがこの言葉で決心した。「やれるだけやってみよう」と。
12月30日から1月3日算数「だけ」をやった。
成果はあらわれた、合格者平均もかなり超えられるようになり、解き直しもスムーズに進んだ。
本番。算数は自己採点で8割、9割とれ、最高の結果で武蔵に合格できた。
短い間でしたがここまで丁寧に教えてくださったPAの田子先生、山﨑先生、久道先生ありがとうございました。
そしてPAに通う中で武蔵の合格だけでなく算数をより好きにさせてくれた白田先生ありがとうございました。
最後に受験生の皆さんに一つ伝えたいことがあります。直前12月に算数18点をとってもそこから本気で全力でぶつかれば合格できます。「絶対に」諦めないでがんばってください。

最短距離のJG合格‼:塚谷 笑理

進学先:女子学院中
その他合格校:愛光中・洗足学園中・普連土学園中・浦和明の星女子中

私は、小3の夏にエクタスに入りました。そのときは、Z会の通信教育もあり、算数パズルも国語もなんなくこなせ、とても楽しい場所でした。しかし、4年になり、理科と社会が入り、初めの一週間は宿題をなんとかこなしていましたが、途中から宿題をやらなくなってしまい、地理が苦手になってしまいました。そして算数もできなくて苦手になりました。(ちなみにクラスは微妙なら下のほうが良い‼)国語は蛯名先生の授業中の雑談がとても面白く、理科は宿題をあまりやらなくても普通の成績はとれた(めちゃくちゃ松井先生の教え方がよかった‼)ものの、社会が全然うまくいかず(モチロン宿題をやってないから。でも大野先生は最後まで見守ってくれました)、国語と理科でがんばり、社会と算数が足を引っ張っている形でした。
志望校は順調に決まり、過去問をはじめましたが、成績が不安定で、テストの結果では受験までで合格率20、30、40、45、50、55、60、65、70、75、80まですべてとりましたw
ちなみに社会がやばいとのことで夏休みに歴史を詰めまくり、自分なりにまとめたりしました。幕末以前は歴史の年号をすべて覚え、できるようになったものの、公民や、幕末以降の社会がわからないまま過去問をやりました。算数の洗足の過去問はとても計算が多くめんどくさかったし、女子学院の社会は意味がわからなかったけど、最後の最後までエクタスの先生の指示や助言通りにやり続けると点数が上がり(上がってなくても上がった気がする)、見事どちらとも合格することができました。
国語は途中から緩やかに成績が下がってきたため、授業の前後に蛯名先生にやるべきことと記述の足りないところを教えてもらったり、算数は過去問の問題の解説を長岡先生に細かく書いてもらったりするなど、国算では特に最後までお世話になりました。
国語の田子先生、蛯名先生、算数の滝澤先生、富山先生、長岡先生、理科の松井先生、社会の大野先生、ありがとうございました。おかげで念願のJG合格&全合格で受験を終わらせられました。本当にありがとうございました。
そして、受験生の皆さん、女子学院で待っています!

最後まであきらめない力:津田 充輝

進学先:麻布中
その他合格校:栄東中

僕は通常授業では栄光ゼミナールに通っていました。そして六年生の9月からPAの麻布コースに通い始めました。最初は通うのが面倒くさいと思っていました。なにしろ家が会場である渋谷から遠かったからです。PAの前の栄光ゼミナールのゼミも、同じく渋谷の会場でしたが、前のゼミは午後からだったので、渋谷でおいしいご飯を食べられたのに対し、PAでは朝早くからなのでお弁当だったということも面倒くさかった原因のひとつです。でも、授業を受ければ受けるほど、どんどん楽しいと感じるようになりました。最初はもちろん点数が全然取れません。最初だから問題ないとわかっていても、なかなかくやしかったです。それでも、何度も何度も過去問を繰り返していくうちに、やはり点数が上がってきているという実感がありました。特に国語は最後のほうには60点中40点も取れるようになってきて、結構有頂天でした。心配の種だった算数もいい点数を取れるようになって安心しました。これもPAを担当してくださったエクタスの先生方おかげだと思っています。
そして迎えた最初の入試は栄東のA日程でした。自分でもなかなかいい感じにできたと思い、日々の努力の成果が出たなと思いました。結果は残念ながら東大特待ではなく東大クラス合格でしたが、それでも初めての入試で合格を勝ち取ることができたため、完全に調子に乗っていました。ところが次の市川の入試で、完全に油断していたせいかまさかの不合格となってしまい、完全に自信をなくしました。さらには次の渋幕の入試でも不合格。合格は今の自分では難しいとわかっていてもなかなかくやしく、さらに自信をなくしました。そして急遽受けた芝浦工大は合格でしたが、受かると確信していたためあまり自信は取り戻せませんでした。そして僕は本番の二週間前から、本気で問題を解き続けました。そこで、「やはり自分はPAのおかげで麻布の問題は解ける。今の自分の脳は麻布の問題に特化していたからほかの学校で落ちてしまったんだ。」と信じ続け、少しずつ自信を取り戻して行きました。最後まであきらめないで二週間のあいだ足搔き続けて、本当に良かったと思います。
そして迎えた2月1日当日。僕は自信に満ち溢れていました。でも、前の試験から学んだので決して油断しないと心に決めていました。算数では少し苦戦したものの、PAでの経験を活かしてしっかりと解くことができました。絶対に受かるはずだと思っていてもずっと不安ではありました。でもその分自分の受験番号を見つけたとき、本当にうれしかったです。本当にPAに行ってよかった。最後まであきらめないで良かったと思いました。
これから受験を迎える皆さん。けっして僕のように油断しないで下さい。そして他のテストなどで、どんなに悪い結果がでてもけっしてあきらめないでください。最後まであきらめないで足搔き続けて、第一志望の合格を勝ち取ってください。
最後に栄光ゼミナールの先生方、PAの長岡先生、蛯名先生、松井先生、松本先生。
そしてよく電話を下さった久道先生。本当にありがとうございました。

楽しかったエクタス:豊田 有

進学先:武蔵中
その他合格校:栄光学園中・愛光中・海城中・北嶺中(特待)

僕は4年生からエクタスに通った。4年生の時は通常授業は算数だけで、季節講習のみ4科目を受講していた。エクタスでは、どの教科もみんなであれこれ意見や質問などを言い合い、にぎやかな授業がとても楽しかった。
5年生になって、楽しみにしていた理科や社会を受講するようになった。授業での先生の話は面白く楽しかった。また、友達もできて、塾に行く日が楽しみでしょうがなかった。
6年生になって、宿題の量が増えてすべてを終わらせるのに苦労したが、相変わらずエクタスは楽しかった。6年後期からのPAも通常授業とはちょっと違ったにぎやかさで、楽しかった。
こうして振り返ってみると、志望校に合格できたのは、エクタスでの勉強を楽しめたからだと思う。受験が終わり、エクタスにいかなくなり、授業がなくなったことが今はとても寂しい。まだまだ、みんなとエクタスで勉強したかった。
最後に、お世話になった大野先生、滝澤先生、田子先生、松井先生、ありがとうございました。

夢だけど、夢じゃなかった:K.N

進学先:筑波大学附属駒場中
その他合格校:駒場東邦中・愛光中・広尾学園中

僕がエクタスに入ったのは小学三年生の11月で、その頃は受験の事はあまり意識していなかった。僕はサッカーが大好きで六年生の10月まで続けていたし、学校の活動も全力で取り組んでいたため、受験と本当に向き合ったといえるのは六年生の後半からかもしれない。ただ、筑駒の存在は知っていて、漠然とはしていたが憧れを抱いていた。しかし、五年生の時から模試を受けても受けても筑駒の合格可能性は20%から一回しか変わらず(一回30%をとったのみ)、何回も諦めようかと思ったが、その度に最初の気持ちを思い出し、もう少し頑張ってみようとも思った。
六年生になると模試も学校別などのより詳しい物になってきた分、筑駒の遠さをより明確に感じた。しかし筑駒以外の学校は合格可能性が高かったので、「筑駒は受からないかもしれないけど他の学校は受かりそうだ」という気持ちになってしまっていた。しかし、その気持ちも筑駒必勝特訓講座受講テストに落ちたことや、模試で計算問題を全て間違えてしまったことでなくなり、徐々に勉強に集中できるようになってきた。
しかし、一月のはじめに受けた合格可能性80%の西大和学園は不合格になってしまった。ここでその悔しさをバネにし、不安定だった算数と、苦手意識の強かった社会をひたすら勉強したことで、最後の一月で実力をかなり上げることができたと思う。そのおかげで、文化祭などで自分に合っていると思った2/1の駒場東邦中学校に合格することができた。合格を知ったときはとても嬉しく、また安堵した。WEBで合格を確認したにもかかわらずわざわざ本校に見に行ったくらいだ。また、2/3 は早稲田と迷っていたが、この合格を受けて筑駒を受けることに決めた。
2/3当日、算数は難しく、取れた気がしなかった。国語はとにかく考え付いたことをひたすら書いた。理社は思ったよりは解けた気がした。2/5、「おそらく合格はしていないだろう」と半分諦めの気持ちで筑駒の合格発表画面を見た。その中に自分の番号を見つけたときは、仰天した。とても驚いて、おくれて嬉しさが込み上げてきた。あこがれだった筑駒に行けることがとても誇らしく感じた。
未来の受験生へ!合格可能性80%の学校に合格せず合格可能性20%の学校に合格する場合もあり得るので、これから受ける模試の成績などがよかったら油断せずさらなる努力をし、悪くても試験の時は気持ちを切り替えて張り切って!最後まで頑張って!!
最後になりましたが、僕の絵空事を現実にしてくれた先生方(僕の算数のすべてを支えてくれた滝澤先生、理科を得意科目に、大好きにしてくれた松井先生、毎回授業を延ばすほどの熱意で教えてくれた田子先生、社会科を最後人並みにまで引き上げてくれた大野先生)、今まで本当にありがとうございました!!!

僕の危うい受験生活:蓮見 将喜

進学先:開成中
その他合格校:市川中(特待)・栄東中(東大特待)

僕は小4から栄光ゼミナールに通っており、自由な校風に惹かれて筑駒を目指していました。小6の6月のサピックスオープンでは筑駒30%、合不合では35%とギリギリ40%に達しませんでした。また、そのときちょうど開成の見学に行き、開成を第二志望にすることにしました。
筑駒PAでは滝澤先生に算数の点の取り方を教えていただいたり、国語では小島先生の少し外れているけれど面白い話を聞いたりしながら過去問を演習するうちに、あっという間に12月になってしまいました。今思えば、その頃の自分はまだ真剣に考えていなかったかもしれません。ただ楽しいという気持ちで通っていたのだと思います。12月になるとサピックスオープンで20%をとったり、家での過去問もほとんど合格点に届かなかったりしたのもあり、流石に焦りだして、筑駒や開成の過去問を真剣にやるようになり、勉強量もかなり増やしました。算数の25年分の過去問集は、筑駒25年分、開成13年分をやりました。筑駒では凡ミスや時間配分取捨選択のミスが多いと痛感しました。
1月は、さらに集中して勉強し、筑駒と開成の過去問の解き直しなどもしっかり行いました。しかし、あまり解き直ししていなかった栄東(東大特待I)や市川が目の前に迫り、緊張しましたが、栄東では47位で3年間特待、市川では特待生合格したため、2月の入試もあまり緊張せずに臨めたと思います。2月の1週間前になると、国語の小島先生に国語の答案の添削をしていただいたり、算数の滝澤先生から配られたプリントをやったりして対策を入念に行いました。
2月となり、開成では算国はできた気がしましたが、社会では後で確認すると、凡ミスがいくつかありました。しかし、「社会はそんなに配点は高くないから大丈夫だろう」と思っていた矢先、まさかの不合格と知り、落ち込みました。筑駒では本番は、算数はそこそこできた気がしたのですが、大問4でブロックの置き方を1通り忘れており、(2)と(3)を落としてしまい、悔し泣きしました。結果は予想通り不合格でした。しかし、筑駒の合格発表から3時間後に、開成の繰上げ合格の電話が来たと知り、とても安心しました。PAでの筑駒や開成の対策や、直前期での努力がなければ合格を勝ち取ることができなかったと思います。
僕はこの受験生活を通して、本気で目指したいものがあるなら、計画的に十分な時間を使ってやるべきだということを学びました。開成中でも自分の実力を過信し過ぎることなく、目標に見合った量の努力を積み、頑張っていきたいです。また、受験が終わった後、のめり込んだ数学を通して、これからも勉強を続けていきたいと思います。
最後に、栄光ゼミナール東大島校と、僕が一番長くお世話になった西大島校の先生方、PAの先生方や小6前期ゼミで授業を受けた、エクタスの久道先生、松井先生、竹本先生、その他お世話になった先生方、僕を開成中に導いて下さり、本当にありがとうございました。

麻布合格までの道のり:服部 寛大

進学先:麻布中
その他合格校:本郷中

僕が麻布中学を目指すようになったのは、外部模試の結果がよく、麻布PAの認定が降りたのがきっかけでした。麻布中学のことをインターネットで調べたり、実際に学校に見学に行ったりしたことで、自由な校風にあこがれ興味をもちました。
PAでの勉強はとても難しかったのですが、先生の授業はわかりやすく、また、同じ目標を持った子たちと勉強ができたのも刺激になり、毎週通うのが楽しみでした。
受験した学校が少なかったので、12月に用意していた過去問が一通り終わり、直前の模試の結果もよかったので、1月になると気が緩んでしまいました。そして、最初に受けた千葉の入試で不合格となり、とても落ち込みました。そして、危機を感じた僕は集中して、麻布中学の算数の過去問の2回目を解いたり、塾で配布された補充問題をひたすら解いたりしました。また、苦手な社会では、コンプリーションを全部やり直しました。最悪の事態に備え、予定していなかった追加の受験校も考え、過去問も2校分追加で解きました。そうした最後の最後のラストスパートのおかげもあって、麻布中学に合格することができました。
第一志望に合格することができ、本当によかったと思っています。そして、これからの学校生活が本当に楽しみです。僕の受験を応援、指導してくれた塾や学校の先生方、お父さん、お母さん、お姉ちゃんたち、ありがとうございました。これからの僕をぜひ見ていてください。がんばります!

気持ちを切り替えよう:船橋 禅

進学先:武蔵中
その他合格校:都立武蔵中・城北中・栄東中

僕は、一年生の時アルゴクラブに入った。これがエクタスとの出会いだった。その後、二年生で最難関ジュニアコースに入った。思い返してみると、初めの頃は得意教科は算数というほど算数を楽しんでいたのに、内容が難しくなるにつれ、僕の成績はどんどん落ち込んでいき、気がつけば算数が苦手になってしまっていた。それでもなんとか進級テストを通過することができたが、苦手を克服できないまま六年生になってしまった。SAPIXオープンでもいい成績を取ることができず、PAのクラスで上にあがることもできず、一時は武蔵に挑戦する気持ちさえ諦めてしまいそうになった。そんな時、白田先生が「武蔵の算数は、直しを徹底してやれば、高い点数が取れるようになる。」とおっしゃったので、その言葉を信じて、僕は一月のほとんどを武蔵の算数の復習に費やした。その結果、PAで渡された封筒問題(武蔵を第一志望にする人はいずれわかる)を一月二十八日に終え、精神的に少し余裕ができた。そして迎えた二月一日。良い緊張感で問題を解くことができ、算数は今までで一番よく解けたと思った。他の三教科もきちんと書けた自信があった。そして二月三日。武蔵合格!!あまりに嬉しくて、涙が出た。ハプニングもあった。一日午後に受けた学校が不合格だったのだ。僕は二日朝に結果を知らされ、ショックで号泣し、二日の受験に向かう気力がなくなった。そんな時、久道先生、金子先生、山本先生が早朝から教室で僕を激励してくれた。そのおかげで僕は気持ちを切り替えて受験会場に行くことができ、二日に受験した学校も無事に合格できた。
こんな僕を最後まで指導して下さったエクタス吉祥寺校の平岡先生、久道先生、山本先生、小島先生、髙原先生、金子先生、PAの白田先生、宮下先生、山崎先生、田子先生、本当にありがとうございました!
エクタスの授業は本っっっ当に楽しかったです!!!

開成へのサクセスロード:松井 佑樹

進学先:開成中
その他合格校:渋谷教育学園渋谷中・西大和学園中・愛光中・広尾学園中(特待)

2024年2月3日、僕は開成中学校に合格した。僕が開成に合格することができたのは、エクタスのおかげである。僕が三年生だったとき、中学受験をするために塾を探していた。その時エクタスという塾を見つけた。エクタスは、筑駒、御三家、駒東入試に特化した小さな塾で、僕はこのエクタスの入塾テストに合格し、3年生の1月から通いはじめた。
4年生からは、最難関中学受験コースが始まった。エクタスの授業はとてもレベルが高く、とにかく楽しくて面白い授業だった。僕はその授業を受け、どんどん新しいことを学び、どんどん学力を高めて行った。でも、問題を解くのが遅くて、いつも先生に注意された。はじめて時間内に終わらせることができた時、松井先生に「残念!全問正解です」と言われたのが面白かったし、嬉しかった。
6年生からはPA(パーフェクトアプローチ)が始まり、過去問演習で受験校の出題の傾向や作戦を理解していった。いくつか模試も受けたが、学校別サピックスオープンのテストの最中に急に体調が悪くなり、ふらふらしながら家に帰った。点数もひどくて、これが本番でなくてよかったと思ったし、健康には気をつけた。
そして2月1日、開成の入学試験を受けた。エクタスで学んだことや言われたことを意識して試験に臨んだ。結果、開成をはじめ複数の学校に合格することができた。合格するために大事なのは、先生の話をよく聞き、エクタスを楽しみ、諦めず、速く、正確に解けるように努力することなのだと思う。僕が通っていた渋谷校は7階で、いつも階段を使ったので運動にもなった。エクタスの内容はどれも優れていて過不足がない。こつこつと積み重ねた先にこそ、新しい扉が開かれると信じている。僕は4月から開成に行く。開成で授業や文化祭や体育祭などの学校行事を楽しみたい。それと同時に、エクタスでの思い出もしっかりと心に刻んでいこうと思う。エクタスの名前の意味は「第一人者」なのだという。そんなエクタスで勉強し、合格できたことは僕の一生の思い出である。大野先生、田子先生、蛯名先生、滝澤先生、松井先生、富山先生、長岡先生、佐藤先生、PAの小島先生、川島先生、高原先生、本当にありがとうございました。

諦めずにねばり強く戦う:T.M

進学先:駒場東邦中
その他合格校:西大和学園中・愛光中・海陽中(特待)

僕は4年からエクタスに算数と国語だけで入り、5年から理社の授業も取るようになりました。駒東は家から近いこと、父の母校で楽しそうな印象があったことから志望しました。
6年の夏休み中から始めた過去問では、比較的得意だった算数でほとんど目標点(受験者平均点)に届きませんでした。また秋以降のSAPIXオープンでは国語が足を引っ張るようになりました。国語は通信教育を始め、算数は滝澤先生の「まあ何とかなる」というような言葉(ウロ覚え)を信じてそのまま続投、理社は良かったので現状維持という方針で進めていきました。その後は過去問を宿題リズムに入れながら蛯名先生の授業中の雑談を楽しんだりして過ごしました。
11月末に学校の階段から滑って左手を骨折してしまい、海陽や西大和はギプスで受けましたが全て合格。模試をイメージすると緊張せずにすむことがわかりました。滝澤先生の言葉通り、本当に何とかなると実感しました。
駒東の試験前には自信を持って臨めるようになっていました。手ごたえ通り結果は合格。続く渋渋と筑駒(持っていった腕時計が止まってしまった)で二連敗してしまいましたが結果を素直に受け止められました。
最後になりましたが滝澤先生、蛯名先生、大野先生、松井先生、PAの先生方、ここまでご指導ありがとうございました。
新6年生へ
まずは問題を解く速度が大事、本番用の時計は予備も持っていく、ケガや骨折には注意、宿題はリズムを作ってしっかり終わらせる、最後まで諦めずにねばり強く戦えば勝てる、というアドバイスを送ります。

『限』:的場 凰

進学先:麻布中
その他合格校:栄光学園中・世田谷学園中(特待)・栄東中(東大特待)

短い間でしたが、受験のサポートをして頂き有難うございました。
僕は、4年生から、サピックスに通っていて、日曜日にプレ講座でエクタスの自由が丘校で授業を受けていました。家から徒歩10分のサピックスには、学校の同級生が多く、通っていました。これまでの僕の勉強の内容は浅く、ただ受験を制すための勉強しかしていないような気がしました。
一方でエクタスのプレ講座では、とても良くできる人がいて、まずいと焦る気持ちから、このままサピックスで良いのか?という思いが脳裏をよぎり、兄の通っていたエクタスに移ろうと意を決し、新6年の2月からエクタスに移りました。プレ講座でも教わった山本先生の話が面白く、国語が楽しみでした。兄が教えてもらった算数の長岡先生は、僕のことをよく理解してくれていました。そして、理科の松井先生の授業は理科の楽しさを教えてくれました。
エクタスの先生は、一人一人、一つ一つのことを丁寧にかつ、細かく考えてくれる先生が多く、悩みを端的に打ち明けることが出来ました。先生たちの、ただ、志望校に合格するだけでなく、これからの人生を生きるためにかけがえのないものを教えてくれる姿に敬意を感じています。また、エクタスの授業は奥深く、思わず感心してしまうほど興味深いものであったため、授業に簡単に入り込むことができ、力も相当ついたと思っていました、12月を過ぎるまでは。なんと、社会が抜けていることに6年の12月を過ぎてからやっと気づいたのです。もっと早くエクタスに移っていたらよかった、と後々思います。今でも、僕はあと3ヶ月あれば、社会は完璧だったのではと惜しんでいます、もう後の祭りですが。それでも、社会の松本先生は僕の社会の強化に力を貸してくれました。だがしかし、完璧にはなりませんでした。受験には限りがあるということです。
最後にPAの先生方へ。
兄も僕もPAでお世話になった、 小島先生、 滝澤先生、川島先生、髙原先生。
結果は出せませんでしたが、これまで、ありがとうございました。すこぶる貴重な5ヶ月でした。もう一度、先生達の授業を受けたいです。
先生達に教わったことは、僕の生きる糧です。この生きる糧を軸にこれからの生を思う存分、歩んでいきたいと思っております。

好きになれなかった受験勉強、でもやって良かった。:三輪 奏太朗

進学先:武蔵中
その他合格校:國學院大學久我山中・栄東中・埼玉栄中(特待)

なんでこんなに受験勉強大好きっ子ばっかりなんだろう。武蔵PAが始まる前にもらった「エクタス合格体験記」を読んで、僕は引いていた。
この体験記を読んで同じように考えた受験生たちのために、僕はこの文章を書こうと思う。
僕が武蔵を知ったのは、従兄弟が通っていて、手品が好きな僕に「奇術部があるよ」と教えてくれた時。その後、学園祭や学校説明会で緑豊かな環境や校則がほとんどない点も魅力に感じて、難しいけど、行けるといいなと思う学校の一つになった。
僕は四年生から栄光ゼミナールに通い始め、エクタスの授業は六年生前期の最難関ゼミと後期の武蔵PAを受けた。どちらもギリギリのラインで入ったので、授業のレベルが高く、毎回泣きそうになりながら(何回かは実際に泣いて教室に入れず欠席もした)、「あと何回でこの苦しみが終わるのか」と指折り数えて過ごした。
一番辛かったのは中々合格者平均点に届かないこと。僕は元々四教科のバランスを取って得点を積み上げる事が多かったが、PAではバランスを取って全教科で合格平均点を下回っていたのだ。
なお、サピックスオープンで偏差値が50に届かないのも辛かった。ただこれは、過去問との相性の方が大事ということが後でわかったので気にしなくなった。
そんな僕だが、受験勉強を頑張って良かった事もある。
一つは、問題を解く中で、勉強だけでなく性格における自分の弱点がよくわかったこと。僕は面倒くさがりで、字も雑だし見落としも多い。そこを直すことを心掛けた。(まだ直ってないが)
二つ目は、小学校の楽しさを実感できたこと。塾とは違う勉強や友達と過ごす時間が楽しくリフレッシュになった。
三つ目は、諦めずにやればできると思えたこと。得点が伸びない様子を見て、両親は武蔵の受験をやめることも考えていたが、僕はここまで頑張ったから受けたいと気持ちを伝えた。
試験当日は、これまでになく緊張した。駅から学校まで歩く間、周りの受験生を見るとさらに体が震えたが、父とテレビ電話でギリギリまで会話できたことと、試験直前確認用ノートや応援ブック(寄せ書き)などを見ることで少し落ち着いた。
比較的安定していた国語はまあまあの出来、あまり自信のない算数が思いのほか簡単に感じたので、理科や社会は自信を持って臨む事ができた。バランス型の強みがここで出たと思う。
最後に、この場を借りてお礼を伝えます。
先生方へ。最後までハラハラさせてしまいましたが、先生方のご指導や応援メッセージのおかげでなんとか合格ができました。どうもありがとうございました。
両親へ。仕事が忙しいのに毎朝早くに起き、スケジュールや健康管理、勉強のサポートまで、どうもありがとう。
四月から晴れて武蔵中に通う。どんな友達ができるか、部活は何に入ろうか、ワクワクしている。辛かったけど、やっぱり受験をして良かった。

4月からは雙葉生!:谷田部 杏梨

進学先:雙葉中
その他合格校:浦和明の星女子中・栄東中

私は3年生の時にエクタスに入塾しました。それから1年がたって4年生になると理科や社会の授業も入り忙しくなりましたが、先生方のとても楽しい授業はあっという間に時間が過ぎていきました。しかし、学年が上がるにつれて宿題が多くなり、宿題が追いつかなくなることも何度かありました。それに加えSAPIXオープンの結果では雙葉中学校の合格可能性が20%や30%しか出せず結果が出るたびに不安は重なっていきました。
そのような結果のまま最後のSAPIXオープンを終え、12月下旬の冬期講習では午前中から塾に行き自習をしてから授業に励んでいました。また、1月に入るとほとんどの日を塾で過ごしました。午前9時ごろから教室が開いているため、朝から集中して勉強に取り組むことができたと思います。塾では過去問を解いて直しをしたり、先生から頂いたプリントを行ったり、また、自分で昔のテキストの復習を行ったりしていました。そのおかげで、少しずつですがPAでの雙葉の過去問や、その他の中学校の過去問での得点は上がっていきました。毎日、過去問やプリントを先生方に見ていただいていたため、それがとても励みや自信につながったと思います。
そして2月1日、いよいよ雙葉中学校入試本番です。私は、1月に受験していた浦和明の星女子中学校の合格もあって、大きな焦りもなく落ち着いて取り組めたと思います。試験では、得意教科である算数で普段通りの手ごたえを感じましたが、社会では問題数が多く時間内でギリギリに終わったため、少し不安もありました。ですが、面接では聞かれたことに正確に答えることができたと感じたため、面接の不安はありませんでした。
翌日2月2日、入試を終えてから雙葉中学校の「合格」の報告を聞いたときには本当に大きな喜びがこみあげてきました。また、今まで諦めず頑張ってきてよかったなとも思いました。4月からは姉と同じ雙葉中学校で楽しく過ごしていきます!
最後に、私が雙葉中学校に合格できたのはエクタス吉祥寺校の先生方やPAの先生方のおかげです。本当にありがとうございました!

努力は必ず報われる: 吉田 蒼

進学先:開成中
その他合格校:渋谷教育学園渋谷中・西大和学園中・栄東中(東大特待)

3年生の10月頃、僕はエクタスの池袋校に通い始めました。最初は自分の志望校を決めていないまま、ただただ授業を受けていました。
僕が志望校を決めたのは6年生の初め頃、エクタスの先生の授業を受けているうちに自信がつき、開成と筑駒を主な志望校として勉強を本格的にはじめました。6年生の9月頃に、PAが始まりました。祖父が開成に通っていたということもあり、開成PAに入りました。白田先生にずっと教えてもらっていた算数は得意教科だという自信がありましたが、開成の過去問ではあまり思うようには点が取れませんでした。
12月、僕は本番が近づくにつれて緊張を感じ始めました。3年間エクタスで学んだという自信と共に、自分の実力は開成や筑駒に足りているのかという不安を感じ始めました。
そうして迎えた入試本番。1月入試は西大和と栄東の2校で良い結果を出すことができ、その勢いのまま迎えた2月1日の開成。算数の出来に不安を抱えながらも、その後巣鴨中算数、2日渋谷渋谷中と調子を上げて受験が出来ました。そして最終日の筑駒とすべての受験を終えました。迎えに来た両親から渋谷渋谷中の合格と開成中不合格の知らせを聞き、自然と悔し涙が流れてきました。力が及ばなかった現実を受け止めなければと自分に言い聞かせました。
そして5日、筑駒も不合格で僕の中学受験が終わろうとしましたが、そこに奇跡の大逆転。開成から繰り上げ合格の連絡が来ました。僕は母と泣いて喜び、最後の最後で憧れの開成への切符を手にすることが出来ました。
僕に努力することを教えてくれた、池袋校の先生やPAの先生、ありがとうございました。僕は中学生になっても努力を忘れずに頑張り続けていきたいと思います。

諦めずに挑むことの大切さ: 和田 航也

進学先:武蔵中
その他合格校:海城中・東京都市大学付属中・栄東中(東大特待)

僕は二年生の秋頃からエクタスの授業を受けていました。エクタスの小3までの授業では、はじめはあまりいい結果を残せず、テストもあまり結果がよくなかったので辛く感じましたが、だんだんと上達していって授業も進度が速くなっていき、最後のテストではマンスリーロジカル算数の講座を受けることを許可されるところまで達しました。(このときの僕はかなりなまけていて、国語を嫌がって受けませんでした。)
四年生になって科目と宿題と塾に通う日数が増え、算数以外の3科は追いつけず、テストの結果も悪くなりました。
算数しか得意科目のない状態が6年の2学期まで続き、理科にいたっては外部模試で偏差値がずっと30台でした。
2学期とPAが始まり、ついに本番まで半年を切りました。1回目の外部模試で国語が4割しか取れなかったことに加え、過去問の成績がよくないので、国語と理科のスーパー講座を受けました。田子先生には要点を設問ごとにまとめたプリントを用意して頂き、算数の白田先生にもよく書けるようになったと言って頂けました。相馬先生には弱点の分野の復習プリントを用意して頂き、理解していない部分の解説をしていただけました。そして、そのおかげで点数は底上げされていきました。
直前期は自分が受かるとは思わず、逆に受からないと思いました。栄東の結果が出ても全くそう思えず、本番前の一週間に至っては夜に布団の中で泣くこともありました。
当日は普段から食べている焼きそばパンだけで食事をすませて出発しました。国語と算数はうまくいったと思い、受かると自分に言い聞かせましたが、後半2科目は失敗したと思い、帰るときはがっかりしていました。
本命の武蔵に受かったこと、過去問で2回は全落ちの海城も受かったことはエクタスにいたからこそ現実になったと思います。
エクタスの先生方、本当にありがとうございました!

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