合格体験記2025

筑駒・御三家・駒東中合格を飾ったエクタス生の体験記をご紹介します。
(50音順)

※体験記中の「PA」とは、エクタスの小6向け講座「パーフェクト・アプローチ」のことです。

自信で逆転勝利:飯田 侑史

進学先:麻布中
合格校:栄光学園中・早稲田中・芝中・東京都市大付属中・栄東中

僕は小1のころからエクタスに通っていた。僕は小6の前期まで受験のことを意識できず、エクタスの授業前まで受験しない友達と遊び、母ともめ、夏期テキスト・冬期テキストを終えられないなど、今思うと多くのだらしない行動をしていた。その上、勉強をしていないわりにはテストで点数がとれてしまったため、なかなか気持ちを切りかえられなかった。小6の前期の終わりごろ、先生方と母そして僕で話し合った結果、4年生からめざしていた筑駒を断念することになった。そのときから遊びに行かなくなるなど受験ムードになっていった。しかし、受験ムードになっても緊張や恐怖心はなかった。そしてついにむかえた受験、最初である12月の海陽特別給費、算数と理科がとても難しく、あせってしまい不合格。不合格だと知ったとき、2月の受験の不安が押しよせてきた。しかし、なんとか持ちなおし、1月校は合格。安心できた。そして本番2月校。テストの間、不安やあせりはなく、自信を持ったまま3日間を終えた。そして結果を見ると2日の栄光、3日の早稲田は合格、だが自信のあったはずの麻布がなんと不合格だった。でも僕は深川先生から言われたとおり(自信がありすぎたのだろう)信じることができなかった。そして4日の芝。3日間と違いうまく集中することができず、心配だった(何とか合格することはできたが)。というわけで入学試験を受け終わった。そして芝から帰ってくるとき、くり上げの電話がかかってきた。これで2月校は全勝で終わった。
今ふりかえると僕が2月校を全勝できたのは、なぜかわからないけど自信があったからだと思う。そのように自信を持つことができたのは、最後まで先生方が見守ってくれたからだろう。見守ってくれたたまプラーザ校の先生方をはじめとしたエクタスの先生方、ありがとうございました。

諦めないこと:小澤 陽

進学先:麻布中
合格校:市川中・東邦大学付属東邦中・巣鴨中・開智日本橋中・栄東中

僕は3年生の時に栄光ゼミナールに入った。初めは受験の事はあまり意識しておらず、麻布を志望した理由も当時の先生からおすすめされたからだった。しかし、文化祭へ行ってみると生徒さんたちがとても楽しそうにしていて本気で麻布に行きたいと思うようになった。その後、アタックテストで成績が安定してきて油断し、宿題をサボって(まねしないでね)成績が落ちてしまった。なんとか持ち直したが、その余波からその後のサピックスオープンで成績が伸び悩み、麻布の合格率は40%以上とれなくなった。エクタスのことはPAを知ると同時に知った。PAは、最初の頃こそ不安だったが、先生たちの個性的な授業に惹かれ、自然と行きたいと思えるようになった。麻布の過去問をいざ解いてみると、もともと苦手な算数が60点中20点とかなりまずい点をとってしまった。ただ、栄光の先生から「過去問は最初は皆、点が取れないのが当たり前」と言われていたのでそこまで気にかけていなかった。しかし、それからの過去問でも点は上がるものの30点以上にならなかった。そこで長岡先生からいただいた「麻布名作シリーズ」(麻布の過去問から良い問題を集めたもので文章題・数規則・図形がある)をやり始めて栄光の先生に質問をして、最終的には3周ずつした。すると算数の点数が急に30点を超えるようになった。国語は蛯名先生が授業中に解き直しした記述を見てくれたので着実に点を取れるようになった。理科と社会は先生たちの声が大きくて最初は苦手だったが、授業が面白いことに気づいてからは内容も頭に入りやすかった。
本番一発目は栄東で、結果は東大クラスだった。ただ、点数を見てみると算数が極端に低いことがわかり、名作シリーズをさらにがんばった。二発目の市川は国語の出題傾向が変わっていて、少しあせったがなんとか解けた。算数も努力したおかげで7割以上を取れていて自信がついた。
本命の麻布は早めに行った。試験の直前に試験官の先生が緊張をほぐしてくれて、より麻布にいきたくなった。算数は努力の甲斐あって40点ほど取れたようだった。合格がわかった時、ちょっと泣きそうになった。
最後にもう二言。今まで支えてくれたPAの蛯名先生、長岡先生、松井先生、松本先生、栄光ゼミナールスカイツリータウン校の先生方、お父さんお母さん、本当にありがとうございました。そして今これを読んでいる受験生たち、いままでがんばってきた自分を信じて諦めないでほしい。がんばれ!

合格を目指して走り抜いた4年間:唐沢 レイラ

進学先:桜蔭中
合格校:豊島岡女子学園中・広尾学園中・東洋英和女学院中・栄東中

私は3年生の頃、エクタスに入りました。出される問題はいつも難しいものばかりでしたが、マンスリーでは私一人のために授業をしてくださったり、どの先生の話も面白く、毎週楽しく通っていました。6年生になって始まった志望校別のPAも同様に楽しんでいました。
しかし、PAの初回に桜蔭の算数の過去問で悲劇的な点数を出し、国語も得点源にならなかったので「このままではまずい」と思い、算数の対策として、過去問やプリント、勧めていただいた問題集を必死でやりこみました。また、桜蔭の国語の記述はとても長文で独特なので、竹本先生が教えてくださるポイントをよく聞き利用するようにしました。そうした努力もあってか、12月頃には理社の点数は安定したままで、算数は目標の得点率を超え、国語はなんと80点台キープを達成しました。
入試初日の栄東では算数満点で合格できました。本命の2月1日も算数の難問に落ち着いて対応でき、無事、桜蔭中学に合格できました!
過去問で壊滅的な点数を取っていた私が受験した学校全てに合格できたので、皆さんも諦めないでください。頑張り続ければ何とかなります!
そして、最後まで教えてくださった蛯名先生、山本先生、白田先生、富山先生、長岡先生、松本先生、松井先生、PAの竹本先生、滝澤先生、久道先生、山﨑先生、自由が丘校とPAの仲間たち、本当にありがとうございました。

自分と未来を変えて行け!:久保田 祐華

進学先:桜蔭中
合格校:豊島岡女子学園中・浦和明の星女子中・栄東中

私が桜蔭を目指そうと最初に思ったのは、桜蔭が女子で一番の学校であり、かっこいいと憧れを持ったからだ。また、文化祭に行ったことで、私の桜蔭に行きたいという気持ちはより一層強まった。
六年生になり、本格的に模試などが始まるようになった。しかし、サピックス桜蔭オープンで、私は散々な結果だった。決定的に国語ができていなかったのだ。私は理系が得意で、文系が苦手ということはもちろん知っていたのだが、そのことを重く考え始めたのはこの時からだ。PAも始まって、国語が苦手なことを実感するたび、「このままじゃ桜蔭に合格できない」という思いが募っていった。だから、私は国語を重点的に頑張ることにした。しかし、点数はなかなか上がらない。
そんな中、私の第一志望校は豊島岡に変わった。姉が楽しそうに豊島岡に通う様子を見て、すてきな学校だと思うようになったのだ。だが、私は桜蔭のために頑張り続けた。あきらめたくなかったのだ。そして、日々の授業やPAを本気で受け続け、成績は上がっていった。桜蔭の国語の過去問では、ただの四角形の大きな解答欄をしっかり埋められるようになった。自分の成長を感じられて、とても嬉しかった。
桜蔭の入試前日、私はとても呆然としていた。なぜかは分からないが、一月の栄東の入試で、普段しないケアレスミスをたくさんして思い通りの結果が出なかったため、今回もそのようなことにならないか不安だったのだと思う。しかし、不安がっていても仕方ないので、得意の算数の過去問で心を落ち着かせた。
二月一日の朝、私は大失敗をしたことに気づいた。PAの久道先生から頂いた『桜蔭合格カイロ』を塾の机の中に忘れたのだ。私は絶望した。しかし、後悔しても何も変わらない。
「カイロがなくとも、私はシャーペン一本で合格してみせる!!!」
こう叫んで私は家を出た。桜蔭に合格した時の喜びは計り知れない。
豊島岡は二日、三日と落ちた。最後の四日、私は家族ともんじゃ焼き屋さんでご飯を食べながら合格発表を見た。待ち望んでいた自分の番号が目に留まった時、本当に嬉しかった。その後十日間、私は桜蔭にするか豊島岡にするか真剣に悩んだ。滝澤先生に相談したり、中学受験の結果に満足できずに高校受験でリベンジするという友達の決意を聞いて、桜蔭に挑戦したいと思うようになった。私は桜蔭で頑張る!
私はこの受験を通して、自分の力を信じることが一番大事だということに気づいた。特に壊滅的だった国語も、本番では自信を持って書ききることができた。私を合格に導いてくれたエクタス池袋校の先生方、桜蔭PAの先生方、本当にありがとうございました!

努力は裏切らない:佐伯 卓麻

進学先:武蔵中
合格校:立教新座中

小4の時栄光ゼミナール赤羽校に入塾し、小4と小5に難関選抜ゼミ、小6前期に最難関ゼミにも通い、小6の9月よりPA武蔵を受けました。
PAに入ってからは、日曜日はPA、それ以外の日は赤羽校に通いつめる日々になりました。PAの宿題は主に水曜日と土曜日にやり、毎回宿題はきちんと提出するよう努めました。
PAの過去問演習では、初回に一番得意な社会で60点中9点という、言葉が出ない点数を取りましたが、回を重ねるごとにそのようなひどい点数をとらなくなり、他の教科もじょじょに点数が上がっていきました。それは、たくさん解くことによって武蔵の問題に慣れていったからだと思います。
まちがえた問題を解けるようになるまでくり返し解くことになっていた算数では、PAの最終回まで全て終わらせることができませんでした。そのため、1/29、30、31にエクタス池袋校へ行きひたすら解き続けました。そして31日夕方に全て終わらせその足で赤羽校の壮行会に出席し、気合を入れて僕の本番前日は終わりました。
2/1はそれほど緊張はしませんでした。算数と理科はできたと思いましたが、国語と社会は少し自信がありませんでした。2/3の合格発表のときは、今までに感じたことのないくらい緊張し、うれしかったです。
最後にPA武蔵の先生方、久道先生、そして赤羽校の先生方、ありがとうございました。

諦めずにチャレンジしてよかった:佐藤 優真

進学先:駒場東邦中
合格校:海城中・巣鴨中・栄東中

6年生の夏に勉強がいやになってエクタスを7月にやめた。
1ヶ月間ゲームしまくって全く勉強をしなかった8月。
地元の学校に行くことがいやになり少しずつ勉強をはじめた9月。
とは言っても遊びまくっていたけど…
エクタスに戻してもらってPAに通い始めた9月。
PAは休まずに通った(授業が楽しかったからかな)。
本気になり始めて過去問を頑張った11月・12月。
1日に過去問を5個やったこともあった。
苦手だった国語がぐんぐんのびてきたことで自信がついてきた1月。
さあ頑張るぞ2月。
駒東の試験は手応えがあった。
巣鴨の試験も大丈夫な気がした。
試験が終わった後にお母さんが駒東の合格証を見せてくれて、幸せな気分で恵方巻きを食べた。
海城の試験は少し心配だったが、合格できた。
最後ですが、
最後まで教えてくれた白田先生、滝澤先生、僕がチビだった頃に算数の楽しさを教えてくれた荒井先生、やさしくきびしく教えてくれた川島先生、山崎先生、相馬先生、国語を楽しいものにかえてくれた池田先生、田子先生、駒東の合格発表を見に行ってくれた大野先生ありがとう。
PAの宮下先生、桂先生、平岡先生、斎藤先生、ありがとうございました。

住所はエクタスたまプラーザ校:鈴木 夏子

進学先:女子学院中
合格校:白百合学園中・普連土学園中・浦和明の星女子中・栄東中

私は一年生の時からエクタスに通いはじめました。パズルが楽しく習い事のひとつのつもりで通っていました。担当の深川先生のことが小さな私は面白くて会うのが楽しみでした。今振り返ると、先生に会うのが楽しみ!と思えたことが長い受験生活にとってとてもよいことだったのだと思います。
四年生になって本格的に受験勉強が始まり、宿題が一気に増えました。そして、四教科の担当の先生方のキャラの濃さにまずびっくりしました。平岡先生(算数)はクマさんみたいだし、桂先生(国語)は声も目もおおきいし、齋藤先生は可愛らしいのにめちゃキレるし・・深川先生は算数の先生だと信じていたら理科の先生だったし・・・・。とにかく宿題の量が多くてここから私の生活はガラッと変わりました。ヒーヒーいいながら秋の進級テストを乗り越えてホッとしていたら・・・ホッとしすぎてしまい五年生の2月からまるまる2ヶ月近く宿題をバレない科目だけサボるという悪事を働きました。そして、その日がきたのです。
「バレる」
母がすぐに深川先生に相談し、その日(忘れもしない4月25日)から私は学校からエクタスへ日曜日以外毎日通い、エクタスの勉強道具と母がお絵描きとやることをリストアップしたお手紙が教室へ届けられるという日々がはじまったのです。
2ヶ月のおサボりは、私の成績を確実にむしばんでしまい、得意だった社会の成績も下がり、五年生の夏前が一番受験を続けるかという話し合いもした時期でした。でも、エクタスに長時間住みつくようになって4か月、五年の9月ごろには自分でも宿題をしっかり丁寧にこなすことが当たり前になり、実力がついていくことを感じるようになりました。エクタスに住み、母からの手紙を読むことで私は無事真面目な受験生になったのです。
深川先生から周りに流されずに自習室でお勉強できている‼︎って褒めてもらえた時は、ほんとうに住民票を移したいと思いました。
そして、直前期へ。調子に乗りやすい私は、「ま、1月の学校は余裕かな」と思っていたのに栄東の算数、特に理科でずっこけてしまい、内心かなり焦りました。深川先生、平岡先生にそこから毎日毎日プリントをたくさんいただいてやりまくりました!疲れたと思った時は得意な社会の問題を〝おやつ〟として解きました。国語の線引きや銀本も12月1月は毎日必ず解きました。
そして2月1日。本命の女子学院の入試。
私はいままでこれだけ努力したと思うと、あまり緊張もせず前向きな気持ちで試験会場に向かいました。学校について、本日の母からの手紙を読み、深川先生の集中力を高めるワザをおもいだしてから試験に挑みました。
そして、合格発表。母のスマホで「合格」の文字をみたときは、叫びたいほど嬉しかったです。
ダッシュでエクタスへ向かいました。走りながらエクタスをやめてしまおうって思ったこと、それでも頑張りきったこと、いろんなことを思いました。
先生たちの顔を見たときの胸の高鳴りをいまも書きながら思い出します。
いまこの合格体験記を書いているのもエクタスたまプラーザ校です。もう住民票をうつしても怒られないのではないかとおもっています(冗談です)。
最後に深川先生、齋藤先生、平岡先生、兄のような桂先生、低学年の時にお世話になった池田先生、中村先生、PAの佐藤先生、山﨑先生、そして家族、たまプラーザ校の同期、先輩、後輩たち、いままでありがとうございした。
これからは、中学校生活をやりきりたいと思います。
受験生のみなさん、エクタスの先生は、本当にすごいです。頼りにしてください。そして、女子学院にきてください。

合格までの道のり:滝 栞那

進学先:雙葉中
合格校:広尾学園中・吉祥女子中・浦和明の星女子中・栄東中

私は、新小学3年生になる2月からエクタスに通い始めました。当初は、特に苦手科目もなく楽しく学べていました。しかし、小5になってから算数の難度が増し、次第に模試の成績も下がっていきました。国語と社会は比較的良く安定していましたが、算数と理科が足を引っ張るという状態でした。
志望校は当初、桜蔭を目指していました。そのためPAも桜蔭コースに入っており、その時学べたことも大きかったと思います。雙葉に志望校を変えたのは、小6の秋ごろというとても遅い時期でした。PAも途中でコースを変更しましたが、先生方には、変更に伴いやっていなかった雙葉の課題をくださるなどの対応をしていただきました。雙葉の算数は相性がよく、他校と比べ高得点を取ることもできましたが、低い点をとることもあり不安要素になっていました。一方、国語は毎回ほとんど80点台をとることができました。サピックスオープンでの合格可能性は徐々に下がり、学校別では80パーセントもとれましたが、それ以外の時は50パーセントくらいでした。
直前期の12月から1月は苦手分野を中心に勉強しました。国語は授業以外でほとんどやらず、社会の年代暗記や理科の過去問を勉強しました。特に算数は今までやった過去問の解きなおしに多くの時間を費やしました。入試本番では最後の算数の猛勉強が効いたと思います。
1月は、緊張することなく無事に合格を手にすることができました。それが、精神的にとても安心につながりました。終わった教科で何点くらい取れているかを振り返りながら解き進めました。
2月は、2日の試験を受けた後に雙葉の合格を聞き、嬉しさが込み上げてきました。
最後に、私が合格を勝ち取れたのはエクタス池袋校の先生方、PAの先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

合格への最短距離:田島 諒

進学先:開成中
合格校:渋谷教育学園幕張中・早稲田中・芝中・本郷中・市川中・東邦大学付属東邦中・巣鴨中・芝浦工業大学柏中・栄東中

第一志望である開成中の入試が終わったとき、僕は茫然自失でしばらく動くことができなかった。算数ができなくて、合格は厳しいと感じたのだ。
結果発表の当日は早稲田中(二回)の入試日で、試験が終わって母との待ち合わせの場所に行くと、母は静かにスマホの画面を見せてくれた。合格者の番号一覧に目を通す。
僕の番号が載っていた!
開成中に合格したのだ。僕は周囲の受験生にバレないよう静かに喜びをかみしめつつ、合格したことを意外に思った(合格かを確認する方法が受験番号一覧を見ることしかなく、本当に合格したのか心配になった)。
僕は小3の春期講習から栄光ゼミナール八千代緑が丘校に通い始めた。小5から市川校の難関コースに通い、先生からPAを勧めてもらった。小5の秋からギアを上げて勉強を頑張り、開成のPAの基準に達することができた。
PAは家が遠いこともあり朝が早く、緊張感のある授業はあまり慣れなかったこともあって大変だったけど、同じ志望校を目指す仲間がいる環境は刺激になり、モチベーションアップに繋がった。授業は過去問だけでなく対策プリントや予想問題を解くなど、とにかく志望校に絞った勉強を的確に効率よく行うことができた。宿題をこなすのは骨が折れたけど、合格への最短距離でカリキュラムが組まれているはずだと思い、必死に頑張った。
その結果が、開成中の合格に繋がったのだと思う。
栄光ゼミナール八千代緑が丘、市川校、ゼミ、エクタスのPAでお世話になった先生方、ありがとうございます。
最後に一つ受験生にアドバイスがある。
言うまでもないが、苦手な教科・分野はできるだけ少ない方がいい。
僕の良いときの成績の比重は算数に大きく傾いていて他教科は悪くてもカバーできた。
しかし開成入試本番の時は、算数ができなかった。ところが、直前期に国理社を勉強した成果か、他三教科が良かったことで合格することができた。
一教科に賭けるのはリスクが大きすぎるから、苦手な分野は減らした方がいいと思う。

「絶対に」という思い:寺田 優

進学先:女子学院中
合格校:豊島岡女子学園中・市川中・栄東中

私は、四年生の一番最初から栄光ゼミナールに通っており、エクタスとはPAが始まる六年生の九月に出会いました。PAが始まる前の五年生の時は、ただ自由な感じだから通ってみたいという軽い気持ちでした。六年生になって少しは気持ちが強くなったものの詳しく志望動機が説明できるほどではありませんでした。
サピックスオープンで合格率四十パーセントを取り、五十以下なのかとおもいつつも、PAに通い始めました。でもやはり最初の一、二回目の授業では全然実感がわかず、なんとなく過去問を解いていました。ですが女子学院のPAに通っているくらいだからさすがにもう少し意欲を高めたいなと思い、女子学院のホームページをよく検索するようになりました。他にも、女子学院の説明会でいただいた雑誌などもまた振り返って読んでみたりしました。その結果、だんだんと何としても女子学院に合格し、通いたいという思いができてきました。
それからも過去問を解いていくうちにさらに思いは強まっていきました。学校別サピックスオープンでは一回目の結果とは裏腹に八十パーセントを二回目にとることができました。
あっという間に一月。正直やばい、と思いました。国語は問題によって点の取れ具合が全然変わっていたし、算数も二〇二四年度では本当に言えない点数を取ってしまいました。理科も最近の過去問では変な問題(深川先生もおっしゃっていました。)が多く、不安でした。そして社会。私は本当に社会ができず、知識系の問題が多い昔の過去問ではかなり低い点数をとっていました。それでも直前でプリントや過去問の二、三周目をやりまくり、少しは自信がつきました。それと父に用意してもらった教材なども使い、忘れかけの知識を叩き込みました。PAの先輩方にいただいたお菓子や女子学院のシャーペンは強い心の支えとなりました。
そして二月一日、国語と理科はまあまあ手ごたえがあったものの、社会や得意なはずの算数では自信がありませんでした。栄光ゼミナールの先生に聞いても、算数はそこまで難しくないと言われ、緊張していたのかなと思いました。また女子学院の生徒さん達がすき間時間にゲームをやってくれて、とても楽しかったです。面接では一応笑いをとれたのでよかったと思いました。
二月二日、豊島岡女子学園中を受け終え、昼食を食べたのち、合否は電車の中で見ました。スマホの画面が信じられず、一緒に見た父と何度も確認し合いました。合格がわかった時は安心や嬉しさなどの多くの感情が一気に来て、とても興奮し、電車の中で暴れてしまいました(笑)。教室に電話した際は興奮しすぎて笑いながらになってしまいました。先生もすごく驚いていたと思います。
この文を読んでいる受験生の皆さん。自分が今までやってきたことを信じ、あきらめず頑張ってください。JGで待っています!
女子学院のPAの先生、二年間お世話になった西大島校の先生、他にも全勝へと導いてくれたエクタスや栄光ゼミナールの先生方、本当にどうもありがとうございました。

苦難だらけの三年間:長坂 真翔

進学先:駒場東邦中
合格校:栄東中

僕がエクタスに入ったのは三年の三月だった。大手塾の入塾テストなどを受けて体験授業にも参加してみたが、エクタスの授業が圧倒的に面白く、わかりやすかった。筑駒のことは三年生のころから知っていて、魅力的でレベルを知らずに筑駒を目指していた。四年生のころは、授業は面白いものの家庭での学習では自分からすることができず、ぼんやりと過ごしていて進級テストもぎりぎりだったと思う。五年生になると宿題の量もさらに増えて忙しくなった。外部模試などでは、算数や社会は、すごく良いときがあれば、あまり良くないときもあり不安定で、国語はいつも偏差値50を下回っていた。そんな中、今までよりも集中して勉強に取り組むために、五年生の後期あたりからほぼ毎日自習室に通うことにした。そうして六年生になり国語を強化するために、国語の蛯名先生の提案で、蛯名先生が自由が丘校にいる日は、授業が終わった後などに授業で扱った記述問題や過去問などの解き直しや演習をすることにした。そのおかげもあって、春のアタックテストで四科目が六位になることができた。松井先生の勧めもあり、第二志望を駒東にした。六月あたりから長岡先生の大量の問題を解きまくり、算数は少しずつ力をつけていった。そして、時は流れていき、天王山といわれる六年生の夏は全力を出し切れずに終わってしまった。PAでは、先生方の授業が分かりやすく面白かったのではじめにあった緊張が少しずつほぐれていった。10月の模試では、算数で謎にケアレスミスをしまくり、国語では偏差値31で、四科目全体の偏差値が50を下回ってしまい、特にひどかった。一月は、苦手な部分の克服と筑駒対策に注力した。初の入試の栄東A日程では、国語があまりうまくいかず、東大クラス合格だった。また、栄東東大特待Ⅰ入試では、国語と理科で失敗したと思ったが案外失敗しておらず、算数では満点かと思う程できた自信があり、(その割には1問ほどミスをしていたが…)3年特待まで、あと少しというところだった。そして、2月1日駒東入試。他の科目では手応えがあったが、理科で超大失敗をしてしまったと思い、自信をなくしてしまった。2月2日聖光入試。たぶん受かっただろうと思える程、全科目手応えがあった。この帰り道で駒東の結果を見たところ、『合格』の2文字が目に入り、純粋にうれしかった。2月3日大本命の筑駒入試。国語と社会では手応えがあったものの、理科ではてこで棒の重さを無視し、算数では[1]で3の倍数ではなく9の倍数を探していたので(1)から間違っていて、合格は無理だ、と思い号泣した。聖光の結果を見たところ、まさかの不合格で、一瞬頭の中が真っ白になった。入試は本当に何が起こるか分からないと思った。2月4日受ける予定のない聖光の2回目入試。一回目よりも自信はなかったが、これで受験が終わる、と思うと、スッキリした。聖光の二回目と筑駒は残念ながらどちらも叶わなかったが、エクタスの先生方や愉快な仲間たちと過ごした時間は一生忘れません。~未来の受験生へ~成績がうまくふるわなかったとしても、落ちこんだりしている暇はない。時間はそんなのを無視して流れてゆく。泣いたとしても結果は変わらない。ただ前を向いて少しでも明るい未来をつかみにいくしかないのだ。入試は結局、当日に決まる。今まで成績が良かった人でもうまく振るわなかった人でも、試験当日にミスをせず、自分の実力、それ以上を出しきらないと合格にはならない。そのために、毎日欠かさずに努力して、昨日の自分よりも今の自分の方が確実に成長した、と胸を張って言えるようになってほしい。~最後に~自由が丘校の、授業が面白く最後の最後まで僕の記述問題を見てくださった蛯名先生、僕の算数の基礎をつくってくれた白田先生、富山先生、たくさんの算数の問題に触れさせてくれた長岡先生、話すことが全て面白い松本先生、僕の気持ちを汲み取ってくれた松井先生、PAの、解説が分かりやすかった滝沢先生、小島先生、高原先生、川島先生、色々とお世話になりました。この経験は一生の宝物です。今まで本当にありがとうございました。

お世話になったエクタス:中西 琉偉

進学先:麻布中
合格校:西大和学園中・愛光中

僕が志望校を決めたのは小4年生でした。決め手は友達に誘われて行った文化祭の中で筑波大駒場中学校と麻布中学校が僕に合っていると感じたからです。志望校をきめたからには頑張る予定でしたが、なかなか勉強が手につかず、塾で出た宿題をこなすことができませんでした。そのため、3回他塾とエクタスを行ったり来たりしました。エクタスに行くと決めた理由は先生が細かい所まで見てくれるところがいいと思ったからです。小6年生になり、課題の量はさらに増え、内容も難しくなっていきました。それでも、授業外や筑駒特訓で解いた過去問を詳しく見てくれたおかげで、理解でき、身に付くことができました。また、夏休み頃から自習室に通っていました。家にいても勉強をしないと親に怒られたからです。行ってみると、エクタスの自習室では集中することができ、短時間しか集中が持たない僕でも長時間いることができました。このように、エクタスの施設と何より先生のサポートによって、志望校に合格できたと思っています。特に富山先生には算数だけでなく他教科や勉強のやり方など色々なことを教えていただき、僕に時間を割いて下さったことを感謝しています。これから受験を迎える方々へ、合格への近道は先生に頼ることだと僕は思います。勉強したくない日もあると思いますが頑張って下さい!全力で向き合ってくれるエクタスの先生が必ず助けてくれます。最後まであきらめずやり続ければ自分に合った学校の合格をつかみ取ることができます。努力ができない、勉強嫌いの僕でも合格することができたのだから。

最後の逆転:中村 利悠

進学先:筑波大附属駒場中
合格校:麻布中・渋谷教育学園渋谷中・巣鴨中・栄東中

2月5日渋渋の入試から帰ってきて、家で筑駒の合格発表を見る。受験番号を下へ下へと辿っていくと、自分の受験番号があるではないか。まさか受かるとは思わず、隣で一緒に見ていた母と飛び跳ねるぐらい喜んだ。
僕がエクタスの存在を知ったのは小学6年生のときだ。3年生のときから栄光ゼミナールに通っていて、6年生の前期ゼミで松井先生に出会ったのが始まりだ。9月からは自由が丘校の生徒となり、通常授業はゼミナールで、日曜日のPAをエクタスで受ける日々が始まった。
PAの初めの方は7人中ひとりだけゼミナール生ということもあって、他の人に比べて遅れをとっていた。国語や算数では3、40点ぐらいしか取れなかったし、理科も到底安心できるような点数ではなかった。かろうじて社会が良くできたくらいだ。外部の模試でも合格率は30%が普通、悪いときには20%を叩き出してしまった。このままでは合格に届かないと思った僕はPAの課題を何から何までこなした。特に算数は滝澤先生の指導のもと、算数25年分をひたすら解いた。そうして算数は70点台を取ることができた。国語は長い間の努力が実ったのか最後の方に急に伸び、理科も丁寧に解き、70~80点手前まで取れるようになった。
そして迎えた本番。1月の栄東は難なく合格。2月1日の麻布は少し不安だったが、合格した。1日の午後の巣鴨(算数選抜)は残念だったものの、2日に取り返した。5日の渋渋も合格できた。そして3日の筑駒。不思議なことに緊張せず、全力を出し切れた。結果は冒頭に書いたとおり合格だった。信じられなかった。
凡ミスだらけだった僕の算数を合格点に近づけてくださった滝澤先生。国語の記述力を上げてくださった小島先生。問題の解説だけでなく、関連知識を授けてくださった髙原先生。最後の最後まで入試の作戦を練ってくださった川島先生。そしてエクタスで仲間と共に闘うきっかけを作ってくださった松井先生。本当にありがとうございました。
最後に、未来の受験生へ。僕みたいに模試で2、30%しか取れない人間が努力して、最後逆転して、合格は掴み取ることもあり得る。君たちが最後まで粘り、体験記を書けるようになる人たちであることを願う。

武蔵を目指した3年間:中山 修司

進学先:武蔵中
合格校:都立小石川中・巣鴨中・栄東中

僕は、通常授業は4年から栄光ゼミナールに行き、6年の秋から武蔵のPAに通い始めた。4年で栄光ゼミナールに通い始めた頃から、算数の成績が低く、6年の前期の栄光ゼミナールの最難関選抜ゼミのときも、算数は苦手だった。
そのまま、PAに行き、武蔵の過去問を解いてみたが、算数が全然解けず、よかった理社だけではまるでカバーできなかった。
結局のところ、最後までで合格者平均を超えたのは2回だけだった。
そのまま武蔵を受けても受からない、という不安が、目の前にあった。なので白田先生に用意してもらった問題(僕が間違えた武蔵の問題が大量にあったため、結局終わらなかった)をやった。
ところが当日、武蔵の問題全てが、スルスルと解けるではないか。とても驚き、これは何かが間違って、変なことを答えているのか、と思った。
3日、都立小石川の受験を終え、家に帰ると急にお母さんが「おめでとうございます」と言ってきたので、え、と思った。聞くと、なんと受かっていたという。すごく喜んだ。
PAの白田先生、田子先生、山﨑先生、平岡先生、ありがとうございました。

ミスとの戦い:蜂須賀 翔

進学先:麻布中
合格校:渋谷教育学園幕張中・渋谷教育学園渋谷中・栄東中

僕は、ミスがとにかく多かった。比を逆にしたり、記号で答えるところを語句で答えたり、答えを書き間違えたりなど、多種多様である。4年生や5年生の時は、ミスを「惜しい」で済ませ、次はできるだろうと思ってミスから逃げていたが、6年生になると、多い時にはプリント一枚につき3個のミスをすることもあり、川島先生に「君は実力はあるけどミスで落ちるよ」と言われ、なぜミスをしたのか、次からはミスをなくすためにどうするのかを徹底的に追及してもらった。そして、問題を解くスピードを落とし、頭の中で問題を言って読み落としがないように、丁寧に解くように心がけるとだんだんミスは減っていった。
そして迎えた1月入試。1月10日の栄東Aでは緊張していて算数で45点という悲惨な点数をとってしまったが、1月12日の東大特待では普段2ケタだった算数で、3ケタを取ることができた。
1月22日の渋幕は、渋渋・筑駒を受けるか本郷・海城を受けるかの分水嶺だったので、緊張したが、実力を発揮でき、合格だった。あっという間に1月は終わり、2月に入った。
2月1日の麻布では、国語を一問空欄にしてしまったが、気持ちを切り替えて算数、社会、理科で最後まで粘ることができた。
2月2日の渋渋では、いつも時間が足りなかった国語で時間が余り、十分に見直しをすることができたが、算数では大問1にてこずってしまい、他の問題に時間を使えず、不安だった。
2月3日の筑駒は、上ばきを忘れてしまい、焦ったが、父に「きっと貸してくれる」と言われ、(実際にスリッパを貸してくれた)安心して全力を出し切ることができた。試験が終わった後、母に渋渋の合格を知らされた時、喜びから思わず「よし」と声が出てしまった。そして、渋谷校で見た麻布の合格発表では自分の番号が目に飛び込んできて、嬉しく、安心した。筑駒は残念ながら不合格となってしまったが、悔いはなかったので結果を受け入れることができた。
面白い授業の髙原先生、ミスを無くそうとしてくれた川島先生、僕の算数を支えてくれた大矢先生、苦手だった国語をみんなと同じぐらいできるようにしてくれた山本先生、いつも僕のことを気にかけてくれた桂先生、PAの蛯名先生、松井先生、長岡先生、松本先生、筑駒必勝特訓講座の滝澤先生、佐藤先生、カイロをくれた久道先生、そして少しでも勉強するために車で送迎してくれたお父さん、毎日弁当を作って体調管理をしてくれたお母さん、僕の都合に合わせてくれた妹たち、ありがとうございました。
これから受験する皆さん。自分の弱点から逃げずに、立ち向かってください。応援しています。

最後まで諦めず成長していく:濱 悠喜

進学先:麻布中
合格校:栄光学園中・浅野中・世田谷学園中・栄東中

僕がエクタスに入ったのは6年生の秋と周りと比べてとても遅い。なぜなら他に大手塾に通っていて通う必要はあまりなかったからだ。しかし6年の秋ごろに過去問を解き始めていくと思うように点数が伸びず悩んでいたので親にエクタスへ通い苦手を克服できるようにすることを勧められ入塾した。初めは大手塾に追加してエクタスへ通うことが嫌で受験終盤なのにもかかわらず勉強することに嫌気がさしてきていた。また、僕には苦手な科目や分野を克服しなければならないことに目をつぶってしまうところがあって、苦痛に感じることもあった。しかしある日、親にエクタスの合格体験記を渡されて読んでみると、僕の第一志望である麻布中学に合格した人で嫌いな科目に向き合ったことで合格を掴み取るという逆転劇をおこしたことを書いている人を見つけた。それを読んで僕は苦手に向き合わないと成績は落ちるが、向き合って少しでも克服できれば合格できるかもしれないと感じ苦手単元に向き合うことを決意した。すると過去問の成績は少しずつ上がっていき、苦手だった理科の点数が安定して6割をとれるようになり、算数は苦手だった場合の数、図形のコツが少しずつつかめてきたことでついに麻布の過去問で算数満点という数値を叩き出すことができた。しかし、満を持して解いた2024年度の算数の過去問は、かなり難しく予想される合格者平均点に届かなかった。理由は、時間配分を誤り、解けるはずの問題に手が出せなかったからだ。さてここで一度社会の話をしよう。僕は麻布の記述問題に関しては6年の秋から冬期講習までは得意だと思っていたのに1月に入った後、大手塾の学校別対策問題で急に成績がおちてしまった。そこで麻布の社会の過去問を松本先生にいただいたまとめプリントを活用しながら振り返る時間をとり社会の成績をあげようと奮闘した。振り返ることで、麻布の出題傾向が何となく分かったように思われた。
上記のようにさまざまなことがあったなかで迎えたのが本番の練習とも言える栄東の入試であった。僕はてっきり緊張するものだと思っていたのに、全く緊張せずに受けることができた。そのためか特待合格することができた。しかし親にはまだ本命校には合格していないのだから慢心するなと言われて気を引き締めて勉強した。本番前夜は社会の振り返りだけをして早く寝た。
そしてついに2月1日を迎えて、いざ試験会場に入ると二回目の入試だからか、または学校を会場とした模試を受けたことがあるからなのか全く緊張しなかった。算数は僕の中では大問1が難しく時間を使ってしまい、解けるはずの問題で空欄を作ってしまうという失態をおかした。そのことを引きずってしまっていてそのことも後悔した。だが親に終わったことは忘れて次の試験に集中するようにいわれて気持ちを立て直した。その甲斐もあり、2月2日の栄光学園は時間配分もうまくいき、出来なかったと思う問題のことを引きずらず気持ちをきりかえられたので、失敗を生かせたのだと思う。そして2月3日に浅野を受けた後に合否を見る時が来た。正直この時の方が入試の時よりも緊張していた。僕は麻布には受かっていないと思っていたので僕の番号があった時には泣いて喜んでしまった。
最後に長岡先生、松井先生、松本先生、僕のために親身になってご指導くださったことにとても感謝しています。ありがとうございました。そして受験生の皆さん、時間配分には気をつけて、最後まで諦めずに努力してください。そうすればきっと合格することができます。

折れずに頑張ってつかんだ合格:平林 紗葵

進学先:豊島岡女子学園中
合格校:女子学院中・市川中・東邦大学付属東邦中・昭和学院秀英中・浦和明の星女子中・栄東中

私は小学三年生の二月に栄光ゼミナール南行徳校へ入塾しました。初めのうちはのほほんと宿題をするだけでもある程度の成績が取れたのでよかったのですが、小五後期に栄光ゼミナール中野校の女子最難関ゼミに行ってから可視化された大勢の「上」に圧倒されました。そして小六の後期なんと奇跡的にエクタス池袋校の女子学院PAへ行くことになったのです。これに関しては両親が「高い目標を掲げて実力を伸ばそう」と決めました(虎穴に入らずんば虎子を得ず)。入ってからはとにかく大変でした。周りの子が私の三倍くらい早い時間で算数の問題を解き終わるので、わかっていても焦るのです。でも得意な国語は勝負になっていた気がします。この頃の勉強の目標は「前の自分を越すこと」でした。なぜなら友達を越すのはレベルが高いけど、前の自分より今の自分の方が学んだことが多いから勝ち目があるからです。そしてよく寝て健康に気を使います。当たり前だけど侮れないです。寝ないと意味不明のミスを連発し、無理をして宿題を終わらそうとすると風邪をひくのでかえって量が倍増します。「寝る子は育つ」のみならず「寝る子は頭がよくなる」だった気がします。本番の前日に三十八度の熱を出し寝込みましたが、無事当日には下がりいつも通りの実力を発揮し、合格することができました。応援してくれた全ての人に感謝しています。

楽しい受験をするために:福田 光輝

進学先:聖光学院中
合格校:武蔵中・三田国際科学学園中・栄東中

今考えると、僕は、普通だけど楽しい受験をしていたと思う。
今回僕は、今までの受験勉強を振り返りながら“楽しむ”と言う事について話をしたい。僕は、小学3年生の11月にエクタスに入った。その頃は算数は楽しかったが、国語は苦手と言うごく普通の人間だった。さらには3年の冬季講習もサボって遊びに行くなど、とてもではないが受験生とは言えなかった。4年生に入り、3年と勉強の仕方がガラッと変わり、宿題も増えてからは少し受験も意識し始めるようになったが、まだたるんでいた。5年生になってもたるんでおり、春季では桂先生からクラスみんながお叱りを受けた。そしてそのまま6年生になった。さらに僕は、クラスの中でもできる方(?) だったので、他のメンバーより圧倒的に勉強量が少なかったが危機感のかけらもなかった。そのせいもあってか、かの大手塾Sピックスの模試では合格率が、筑駒は20%、聖光は50%など、悲惨だった。このように、6年の前期までの受験勉強には目も当てられないが、そこそこ楽しく塾に通えていた。しかし、僕は6年の後期に変わったと思う。PAも始まり本格的に受験を意識するようになってきてからは勉強量も増えていた。過去問でも4人の先生に志望校対策をしてもらい(特に桂先生の聖光対策はすごかった!)、少しずつ充実していった。
入試前の話はここで一度終わりにして受験の話をしようと思う。先に結果から話をすると武蔵と聖光(2月2日) は○だったが、筑駒は準備が足りなかったためか??だった。そして、この結果で僕が深く感じたことが、入試と“楽しむ”事の関連性だ。入試の話をすると、過去問から相性の良かった武蔵はもちろん、過去問ではそこまで相性が良いとは言えなかった聖光も今まで以上に存分に楽しんで入試を受けることができた。しかし、時間配分を間違えたこともあり、過去問では多少楽しめていた筑駒が本番では緊張して全然楽しむことができなかった。そうした点で結果と結びつけてみると、楽しめた武蔵と聖光が見事合格。楽しめなかった筑駒は残念ながら不合格だった。
ここまで読んでわかるように、楽しめたら絶対に合格する。これは断言する。どんなに偏差値が高くて、自分と相性が悪くて、高望みであったとしても、入試を楽しめたら絶対に合格する。そう思って欲しい。しかし、一応言っておくが、楽しめなかったら落ちると言うわけではない。僕も筑駒は落ちてしまったが、もう一つ楽しめなかった学校は受かった。
ここで1つ忠告しておくが、何もしなくても楽しめば受かると言うわけではない。何もしなかったらそもそも楽しめないのだ。少しさかのぼるがもう一度6年生の話をしよう。前に僕は勉強量が少ないと言った。確かに勉強量は少なかったと思う。しかし自分で言うのもなんだが、僕は、先生の話をよく聞き、宿題もなんだかんだ言って期限内に終わらせるなど、意地でも勉強はきちんと、効率よく(?)効果的に勉強をやっていたと思う。だからこそ、受験応援ブックに桂先生から「楽しむ権利が君にはある」と書かれた時は本当に嬉しかった。
このことから、受験生に僕から伝えたい事は二つある。一つは最後の一年の勉強が結果にものを言うということ。そして二つ目は、自信を持って頑張れということだ。どんなに諦めたくて、くじけそうで、打ちのめされても、必死に上を向け! そうすれば、自然と合格がついてくる。
最後に、僕の算数を基礎から応用まで徹底的に叩き上げてくれた平岡先生、選択肢の解法、記述の書き方、線引きの仕方などを教え、嫌いだった国語を好きにしてくれた桂先生、基礎、記述、選択肢の現状に向き合って正答率を上げてくれた齋藤先生、重要な解き方を強調し信頼できるまで理科のレベルを上げてくれた深川先生、本当にありがとうございました。

受けるからには受かってみせる:二木 響子

進学先:女子学院中
合格校:吉祥女子中・晃華学園中・浦和明の星女子中・栄東中

2月2日。午後1時過ぎ。駅の改札を出たところで、母から電話があった。
「響子!JG受かってるよ!」
時間差で喜びが来た。すぐにエクタスに電話をした。先生も喜んでくださった。
合格までたどりつくことができた、私のエクタス生活を紹介したい。
私は新2年生の2月にエクタス吉祥寺校に入った。しかしすぐに新型コロナウイルスの流行が始まり、教室に行けなくなった。久道先生が低学年でも解ける入試問題を送付してくださり、家で取り組んだのを思い出す。そのうちエクタスの授業が無事復活した。算数ははじめはプリントを終わらせるのが大変だったが、次第に慣れ、3年生の終わり頃は毎週授業内に解き終わるようになった。国語は元から得意で好きだったので、マンスリーなどでぐんぐん力を伸ばしていった。
そして4年生になった。理科と社会が加わリ、とても楽しく、宿題の量もそこまで多くはなかったので、まだ結構な頻度でゲームをしていた。4年生のときは純粋に楽しかった。
しかし、5年生になると「楽しい」だけではどうにもならなくなってきた。算数ができなくなってきたのだ。私の理解力がスピーディーな授業に追いつかず、しまいには金子先生に「算数ができないことを引け目に思っているのではないか」と指摘された。5年の1学期後半から、土曜日に自習室に行き算数の宿題を見ていただいた。そのおかけでやや持ち直したものの、やはり算数の成績には波があった。
ついに6年生になった。SAPIXの公開模試の結果から、理社が弱いと分かった。JGは理社の配点が高いのでこのままではまずい。久道先生のご提案で、理科は毎週土曜日に「最高水準問題集」を宿題とは別にこなし、徐々に力をつけた。
夏期講習に突入した。算数と理科は3時間延びの授業だった。当時はかなり苦しかったが、今思えばいい経験だ。お盆休みには社会に注力した。とにかく年号を覚えようと決意し、何周も何周もして覚え倒した。そのおかげで年号並べ替えの問題は得点源になった。
そして迎えた後期。PAははじめからJGコースだった。そこでもまた算数に苦しめられた。2024年の算数が36点で、私の自信は完全に消えた。他の年も算数は大体60点台。金子先生に相談して、古い過去問をどんどん解いた。PAでの実施分と合わせて実に35年分、JGの算数に取り組んだことになる。その結果、最後にPAで解いた過去問では100点をとることができた。
2月1日。JGの算数は難しく、解答欄は4割空欄で出した。落ちたと思った。でも他の教科で踏ん張った。帰りにエクタスに寄り、算数は難化したと言われ安心した。ちなみに、得意と高をくくっていた国語では、JGの本番で漢字を2つも間違えた。後悔した。
最後に。私の算数を最後まで底上げしてくださった金子先生、質問に丁寧に答えてくださって、PAの直しも最後までみていただいた久道先生、低学年の頃から私の国語を見守り、そして高めてくださった小島先生、4年生の時に社会を「楽しいもの」として教えてくださった高原先生、大切な時事問題や用語などをたくさん教えていただいた松本先生、PAの平岡先生、佐藤先生、深川先生、山崎先生。本当にありがとうございました。
そして一緒に学んだ吉祥寺校の仲間たち。私のために協力してくれた家族のみんな。この場を借りて感謝したい。ありがとう。
これから入試を迎える後輩の皆さんも、努力して「自分の行きたい学校」に入ってほしいと願う。最後まで頑張ってね!

エクタスだからできた合格:松本 侑士

進学先:開成中
合格校:西大和学園中・海城中・本郷中・立教新座中・栄東中

自分は3年生の夏期講習からエクタスに通い始めた。エクタスに入塾するときのテストでは、算数が100点中6点で、算数よりも国語の方が得意だった。でも、エクタスの授業を受け、次のテストでは12倍の72点になった。
初めは受験を全く考えておらず、その後受験をすると決めても、御三家・筑駒・駒東は難しく、堅苦しいイメージがあり、目指していなかった(そもそも御三家・筑駒・駒東のことを知らなかったのだが)。最初の第1志望校は芝だったが、周囲に「芝に行きたいならもっと上を目指さないと芝は受からない」と言われ、御三家を目指すことにした。そこで自由な麻布を第1志望校にしたが、滝澤先生に「麻布は自律した人ではないと」と言われ、自分は絶対に遊びすぎてしまうと思い、第1志望を開成に変えた。
基礎固めを重視した結果、最後のアタックテストで1位を取ることができた。模試では理科=社会>算数>国語の順番でできたため、NN開成の社会で順位6位を取ったり、算国で偏差値45を取ったりした。また、成績が不安定でサピックスオープンで偏差値72を取る時もあれば62を取る時もあった。
6年生の9月から始まるPA(パーフェクトアプローチ)にて、過去問を始めると、他の学校では国語よりも算数ができるのに、開成は一番重要な算数が国語よりもできず、算数では合格者平均76点の時に38点を取ってしまった。また、理社は良い点を取れたが、平均点も高く、理社で算国をカバーすることができなかった。
なお、5年生の冬ごろからルービックキューブにハマり、毎日1時間以上、長い日には3時間もやっていて、入試の2週間前までやり、6年生の12月には大会に出たり、新しいルービックキューブを買ってもらったりするという生活をしていた。
そして入試が始まり、最初の受験の西大和では過去問で合格最低点+40点ほど取れていたのに、本番で合格最低点ピッタリだったので、とても驚いた(少し面白かった)。栄東ではA日程で東大特待1年を取ることができ、東大特待Ⅰでは3年特待を取ることができ、とても嬉しかった。立教新座では算数で96/100点を取ることができた。開成では、過去問では凡ミスをたくさんしていたのに(算数で最初の1問を凡ミスしてその大問をすべて間違えて満点を取り逃がしたことがある)本番では凡ミスはほぼなく、その上、当てずっぽうで書いたものが当たるという幸運まで起きた。しかも理社が結構簡単に思えたのに予想より平均点が低く、苦手な算数も難しい年だったためあまりマイナスにならなかったという奇跡が起きた。自己採点の点数が悪かったので絶対不合格だと思い、2日の本郷や3日の海城の各教科の試験が始まる前に毎回開成に合格しているようお祈りしていた。開成の合格発表と同時刻に始まる海城の理科の最初の5分間は手が震えてしまった。
海城の試験が終わり、開成の合格発表を見ると、自分の番号があり、「えー‼」と驚いてしまった。自分が開成に合格したのは、個別の質問に対しても熱心に指導してくれたエクタスのおかげである。
池袋校の池田先生、白田先生、相馬先生、滝澤先生、田子先生、山﨑先生、開成PAの川島先生、小島先生、清水先生、松本先生、そして自分を自習室に行く気にさせてくれたエクタスの仲間、本当にありがとうございました。

勝ち取れ合格:三浦 達稀

進学先:開成中
合格校:渋谷教育学園幕張中・海城中・本郷中・巣鴨中・立教新座中・栄東中

ぼくは、3年生の冬期講習のときから栄光ゼミナールに入塾した。4・5年生ではアタックテストでどの教科も偏差値60以上をキープしていた。5年生で「あなたは開成に向いている」と国語の先生に言われ(実際向いていた)、開成を考えるようになった。しかし6年生になってから国語の苦手さが顕著に浮かび上がり、アタックテストの成績が低落し始めた。サピックスオープンでギリギリの合格可能性率でエクタスの開成PAに参加できた。
PAでは、まず開成は310点満点であることに驚いた。算数で思ったより点数が取れなかったが、清水先生に「難問に慣れろ」と言われたので、自分はまだまだ難問に慣れていないんだと思った。小島先生の面白い話が交じった国語の授業は、まさに「簡にして要を得る」ような一言解答を教えてくれた。川島先生の理科の一行記述練習で、自分の知識の抜け落ちに落胆した。社会の東京問題は、はじめは「こんなの知ってるわけないだろ」と思っていたが、過去問演習と松本先生の授業を受けるうちに身近なもののように感じられるようになった。国語の過去問点数は毎回悪いというわけでもなく、合格最低点に届いた年も多かった。しかし、極端に悪い年があったり、2024年の過去問では1点届かなかったりしたため、安心はできなかった。
東京や江戸の本を読んだり、プリントをやり続けているうちに、入試が始まってしまった。1月には栄東の3年特待や渋幕に合格して、少し安心した。その後も出来が悪かった算数をやり直したりしながら、開成の入試に臨んだ。
2月1日、極度の緊張はしなかったが、1月とは違った雰囲気だった。理科でよく出る実験器具の問題が出たり、社会でたまたま知っていた問題が出たりした。国語は(なぜか)自信があったが、算数は凡ミスしたか不安で、社会は手応えはあったが平均点が高そうで逆に不安だった。そんな気持ちを忘れようとしながら、2日と3日の他校の入試を受けた。開成の合格発表は、3日の海城が終わってから確認した。番号はあった。合格したのだ。公園だったためはしゃぐのを我慢しながら、栄光ゼミナールとエクタスに連絡した。本当に嬉しかった。
最後に、栄光ゼミナールの先生方、エクタスPAの清水先生、小島先生、川島先生、松本先生、本当にありがとうございました。そして、この文章を読んでいる受験生、あきらめずに頑張って!応援しています!!

「一つ一つのことを丁寧に」:山我 菜々美

進学先:雙葉中
合格校:白百合学園中・日本女子大学附属中・淑徳与野中

私は、3年生の四月からエクタスに通い始めました。エクタスの勉強は楽しくてすぐ夢中になり、毎週の授業をとても楽しみにしていました。私の『調べノート』に先生はいつもコメントを書いてくれて嬉しかったです。
しかし、4年生になってから宿題がとても多くなり、終わらなくて泣いている日々が増えていきました。5年生の夏休み、ついに精神の限界が来て、宿題もいい加減にやるようになり、6年生のサピックスオープンでも雙葉の合格率は30%以上を取れなくなってしまいました。
そこで、1月から勉強の遅れを取り戻そうと、まずは理科の宿題を終わらせることにしました。(川島先生は宿題の答えをくれなかったので、終わるまでとても辛かったです。でも、勉強はこうやってやるものなんだと、やっと気づきました。)また、私の唯一の取り柄だった算数は大矢先生が叩き直してくれて、算数で周りの受験生より高い点数を取って、他の教科でエラーを出さないようにしました。また、社会の歴史もそこそこできたので、地理と公民も安定して取れるようにしようと高原先生につきっきりで見ていただきました。1番苦手だった国語は毎週水曜日に吉祥寺校に通い、山本先生に解き方を教わりました。
そして2月1日、そこまで緊張はしていなく、私の中ではメラメラとやる気が燃えていました。終わった後も「これいけちゃうんじゃないかな?」と自信が湧いてきました。2月2日は雙葉の結果が気になり、電車の中では少し緊張していました。だから、雙葉の合格を知った時には体全身の力が抜けていきました。
ここまで、私の経験を書いていきましたが、私が昔の私に言いたいことは「焦らなくてもいい」ということです。焦って色々なことがいい加減になるよりも、目の前にあることをコツコツとやっていくことが大切だと、この1ヶ月で感じました。だから、この合格体験記を読んでいるみなさんも、落ち着いて一つ一つのことを丁寧にやってください。また、雙葉コースに入ろうと思っている受験生は池田先生に鉛筆をけずっていただけます。その鉛筆を使うと国語が怖いくらいスラスラ解けます!
そして、今まで私のことを見てくださった大矢先生、髙原先生、川島先生、山本先生、PAの金子先生、池田先生、山崎先生、深川先生、私を合格まで導いてくれて本当にありがとうございました。一生忘れられない幸せな1年になりました。

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