今年8月、オランダ人画家ヨハネス・フェルメールの作品「窓辺で手紙を読む女」の修復作業が完了したという報道がありました。絵画というのは経年劣化による絵具の剥落や、光による退色がどうしてもおこってしまうものなので、定期的なメンテナンスや修復を行う必要があります。美術館の照明や空調も、なるべく作品にダメージを与えないよう調整されているので、展覧会に行ったときに少し寒いと感じたことのある人もいるでしょう。このように作品を丁寧に扱うからこそ、私たちは数百年前の絵画を見ることができるのです。
今回のこの修復作業が大きなニュースになったのには理由があります。それは、修復前はただの背景の白い壁に見える部分に隠されていた、「弓を持つキューピッドの画中画(絵画作品の中に描かれた絵画のこと)」がその全貌を現したからです。このように、本来の作品が塗りつぶされたり改ざんされたりした例は他にもありますが、上塗りされた絵具を剥がすという作業は大変に難しく、技術上の問題で修復できないものもあるため、今回は幸運なケースであると言えるでしょう。さらに、隠されていた部分が明らかになったことで、この絵自体の解釈が変わったり、新たな解釈が生まれる可能性が出てきています。画家の思いや意図を絵画に描かれたモチーフで表すことがあるからです。作品自体だけでなく画家の思いまでよみがえらせた、今回修復作業に携わった方々の技術と情熱には感服するばかりです。
一方で、この画中画を塗りつぶした理由についても様々な解釈が出てくるのではないかと思っています。なぜなら、何かを塗りつぶすということは、そこに必ず「隠したい、否定したい」という意思があるからです。例えば6年生の皆さんは、歴史の授業で出てきた「墨ぬり教科書」を覚えていると思います。なぜ教科書の一部を墨で塗りつぶすことになったかといえば、戦争が終わって国の目指す姿が変わったことで、軍国主義的な内容を否定する必要が出てきたからでしたね。この場合は教科書なので、塗りつぶされた部分の詳しい内容もわかりやすいですが、仮に具体的な内容が分からなかったとしても、少なくとも「軍国主義的な内容」「戦前は問題なかったが、戦後になって否定しなければならなくなった内容」であったことや、それを塗りつぶした理由も明らかになっていたと思います。何かを隠そうとしても、隠す行為それ自体によって明らかになってしまうというのは、なんとも皮肉なものだと思います。ちなみに「窓辺で手紙を読む女」に隠された画中画があることは1979年のX線調査でわかっていたようですから、今後さらに技術が発達すると、何かを隠すこと自体が困難になってくるのかも知れません。
修復後の「窓辺で手紙を読む女」は日本でも来年公開される予定です。興味があったら出かけてみてくださいね。