前回は、目新しい異説について、安易に飛びつくのは受験生としては避けるべきという話をしました。
では、定説と異説(新説)の境界線はどこなのでしょう。受験生にとっての目安はやはり学校の教科書にどう書かれているかになると思います。中学受験の場合、内容のレベルから考えると中学生が使用する教科書が基準です。我々塾で受験指導に携わる者は、そういったことに敏感に対応するようにしています。
中には、新しい発見によってすぐに教科書が書き換えられる場合もあります。たとえば、1998年奈良県の飛鳥池遺跡から出土した「富本銭」。それまで日本最古の貨幣は「和同開珎」でしたので、それよりも古い貨幣である富本銭は大発見でした。
では、ここ数年で教科書の記述が変化している部分、換言すれば、受験生として身につけていく部分の代表的なものをいくつか記します。
有名なところでは、「1192年に幕府成立」ではなく、「1185年には成立していた」説。源頼朝が征夷大将軍に任命されたのは1192年で間違いないのですが、頼朝の実効支配が始まっている時期を幕府の成立とすると、1192年以前になるというのが見解です。学校の教科書でもこの辺りは昔と比べて変化しています。室町幕府の成立についても同様の見解があります。
奈良の東大寺にある正倉院の「校倉造」も考え方が変わっています。かつてはあの横にした三角柱の積み重ね構造が、乾燥している時期には収縮してすき間ができて風を通すという考え方でした。現在ではその説はほぼ否定されています。全体の重量(屋根の重さ)から考えても、伸縮するとは考えづらいですし、かりに通気性が良いとしても、その場合はむしろ虫食いの方が心配されます。現在では,ログハウスのような意味合いだったのではという考え方、密封性を高めるための構造という見解が定着しつつまります。
江戸時代、徳川家光の代に出された幕法「慶安の御触書」は、農民を厳しく統制するために出されたものと学習したと思います。しかし現在では、この時期の原本が発見されていないことや、全国的に流布されていたという証拠もなく、教科書からの削除も目立ちます。かつて慶安の御触書としてよく目にしていた史料は甲府藩で使われていたもののようです。
身につけるべき部分といいながら矛盾してしまいますが、これらは逆に考えると、入試にはあまり出にくい(出題しづらい)部分でもあるということが言えます。ただ,定説として固まりつつある内容なので、知識として知っておいてもいいと思います。学校によっては既に出題され始めていますし。
長くなってしまったので、前回予告しておいた中学受験で必要な歴史での「暗記」については、次回に持ち越します。