桜蔭中・武蔵中の出題から。
(沖永良部島に墜落した特攻機に乗っていた)伍長「ぼくだけ生き残ってしまった…死んで神になるはずだったのに」 少女「ずっとここにいれば?戦争が終わるまで隠れていれば?」 伍長「いきててよかった」 …少女「(伍長には、戦死した父や兄にしたように)お国のためにがんばってきてねって…もう手は振らない」 (中脇初枝『神に守られた島』による)
戦時中、沖永良部に墜落した特攻兵の伍長は、仲間と一緒に軍人としての使命を果たせず、”神”になれなかったことを深く悔いています。そんなとき、天真爛漫な地元の少女から、「もうヤマトゥに戻らないで、ずっとここにいれば? 戦争が終わるまで隠れていれば?」と、当時としては異例の率直な言葉をかけられ、衝撃を受けたようです。彼は、涙しながら大いに笑い、「生きててよかった」とつぶやきます。そこに、もはや軍神の面影はありませんでした。また、少女も、「お国のためにがんばってきてね」と、父や兄に手をふった結果、それがかえって「呪い」になり、二人とも帰ってこなかったのではないかと思い至った末、「もう手は振らない」と言い切ります。
社会全体が戦争遂行を要求していた時代でも、したたかな民衆は、水面下でこのような人間らしいやりとりを交わしていたのでしょうか。発見・摘発されれば大変なことになったでしょうから、仲間内や家族間でも、発言には相当な覚悟が必要だったにちがいありません。当時を経験していない私たちは、想像の域を出ませんね。
しかし、物語の中で、伍長が本心を吐露するきっかけになったのは、命を賭した勇気あるヒーローの殉難行動などではなく、少女の何気ない一言です。皆、言いたいけれども言えない本心を、あっさりと口にしてみせる。その強さ、明るさ、正しさ、屈託のなさ、正直…いつの時代も、社会を変える発火点になったのは、意外とこんなところにあるのかもしれません。
もちろん、多様な人間模様を一律には括れないでしょうけれども、何か問題がこじれ、複雑な論理を駆使したり、議論の応酬を繰り返したりしても前に進めないときこそ、心の本性に即した単純素朴な「一言」が、導き手になってくれることもあるかもしれません。今日、言葉の発信方法には、事欠きませんから、その気になれば、声をあげることはできそうです。時代の底流を形成する「一言」の力に気づかせてくれた、本年度の桜蔭中・武蔵中の出題でした。