女子学院中の出題から
信州で地域医療に携わる筆者。アスパラガスの収穫タイミングは、早朝の数時間に限られる。ゆえに、刈り入れ時期、農作業者は重篤でも入院拒否。「命よりもアスパラが大事ですか(当惑、苛立ち)」「もちろんだ」。患者と喧嘩。でも最近、当地の、季節とともに人が生きる営みがわかり始めた。だから、状況をみて、一時、収穫のための外出も許容している。
(夏川草介『五月の贈り物』による)
多くの人々にとって“当たり前”とみなされる近代的な発想は、科学的正当性や普遍妥当性を味方にしているために独善的になり、結果、その枠内に収まりきらない「非合理的」事案に対しては、ひどく排他的になってしまうことがあるのでしょう。
しかし、この世界には、近代合理主義には無縁であっても、古来からの豊潤な生活の知恵を凝縮した文化が、方々に息長く存続しているに違いありません。
それらを、科学のメスで一方的に裁断してしまえば、私たちは、迫りくる自然環境に応戦し生き延びてきた、人類にとって傾聴すべき伝統の価値を失い、自らを貧相にしていくばかりともいえるのではないでしょうか。
もちろん、古来の文化のなかで、現代の生活様式に照らし、あまりにも非効率的と判断される部分については、近代科学の恩恵をありがたく享受させていただく方向で改革を進めていくことも肝要でしょう。
両者の良い点をうまく折衷・両立することが、人類の文化をより豊かに彩っていく道なのかもしれまんが、これは、とてもここでは論じきれぬ、壮大かつ繁多な話になってしまいますから、しばらく置きます。
ただ、私たちは、進歩的価値観は、時に万能でなく、そこから零れ落ちてしまうものの中にも、大事な人間のぬくもりがあることを心に留めておきたいと思います。
「合理主義の死角」…より高度な文明論への、大事な足掛かりを提供してくれた本年の女子学院中の出題でした。