本年度、麻布中の入試出題文から。
タウン誌編集記者の中塚さん。業務に追われ、また「いい話」の記事を書かねばねらぬと焦る。あるとき、”一人暮らしのおばあさんがカメを飼うも、成長しきりで手に負えず、近所の子供たちの世話で新たなもらい手が無事みつかり、一安心”といった美談を取材・掲載。しかし、彼女が、カメや子供たちに去られ、生き甲斐をなくし、寂しさに沈んで亡くなっていたという決定的事実は見落としていた!
森絵都『竜宮』より
私たちは、とかく、大人も子供も忙しいですね。自分の意思をはっきり持つまでもなく、次から次へと、社会・組織からの、より複雑な要求にさらされ、それらに応戦することで一日、一年、そして一生…があっという間に過ぎ去ってゆく。必死に対応しているうちに、人の心を顧みる余裕さえ失ってしまう。それは、自分だけでなく、周りの皆も同じ事情だろう。すると、社会は益々、殺伐としたものになっていく。
やがて人は、本心を押し殺してでも、社会が要求するものに順応する習性を身に付ける。それが、暗黙のうちに「大人になる」ための自明の流儀として、肯定される。
人間が、組織的要請に押され、肌感覚を失い、窒息寸前に陥っている現代の世相を、象徴的に語っているといえそうですね。
学校や会社で、いきづらさを感じたら、まず、自分の心のうちのありのままの声と向き合ってみる必要があるのかもしれません。もちろん、唐突にその本心・本音を周囲に表明すれば、大きな軋轢を生じ、ますます緊張感を高めてしまう。さりとて、建前を述べ立てるばかりの日々の延長線上には、鬱憤の蓄積だけが待ち受けており、発展性はない。だから、本当の思いを日記にかきつけてみたり、気持ちを許せる友人や家族だけにこっそり吐露したりして、日頃の感情の軋みを直視し、腑に落としつつ、これを少しずつ軽減する方法を模索するところから始めるのがよいのではないでしょうか。自身の思いと社会の妥協点をどこに見出すかは、真情を吐き出して気持ちが軽くなってからでも、遅くないはずです。
恐ろしいのは、「正しい」とされる通念に引きずられるままで、自分の気持ちがどこにあるのかも分からず、大きな社会の部品と化した自分に何の疑問も持たぬまま過ごし続けることではないでしょうか。それこそ、人間らしさの喪失というべきでしょう。
「現代病」ともいうべきものへの処方箋まで想起させてくれるような、本年の麻布中の出題でした。