【2014 麻布中の出題】
大山淳子『ミスター・クリスティ』より
~高校入学祝いの自転車。別居中の潤沢な父から買ってもらった高価車「クリスティ」を手放し、母が苦心しておとなりから譲り受けてくれた不格好な”あずき色”の自転車を選ぶ、つよしの決断。
母が貧しさに耐え、人に頭を下げてまで譲ってもらった自転車がある以上、新しく、かっこよく、皆に自慢したいくらいの自転車「クリスティ」を自宅に連れて帰るわけにはいきません。だから、「クリスティ」は「あずかりや」に預け、自宅には母が調達してくれた”あずき色”で帰ります。しかし、少なからぬ虚栄心を満たすためか、朝は「あずかりや」で”あずき色”を降り、「クリスティ」に乗り換え、学校に向かいます。ここに、つよしの葛藤がありました。
つよしの決断の直接のきっかけになったのは、古くても何度も修理され、現役で2人の娘を育てて家族から愛されることを誇りにしている同級生の自転車に触れたことです。つまり、家族の固い絆を結び続けてきた同級生の自転車の持つ、内面から発せられる、行為故の美しさと比べれば、「クリスティ」の見栄えは色褪せてしまったのです。
物の価値は、見た目の立派さでなく、どれだけ豊かな心を育んできたかによって決まるのだと、つよしは気づいたのでしょうね。
しかし、物質的な豊かさを否定するものではないと思います。現に物語の最後で、つよしは「クリスティ」を手放すことに対する贖罪の思いを込めてか、”2人だけ”の旅に出ています。
むしろ、見栄えの良さと、胸に染み入る真心の間で板挟みになることができる、つよしの優しさ・誠実さに注目すべきなのかもしれません。本校受験生の諸兄は、この少年より若干、年少ですが…みなさんは、この状況を我が身に置き換えたとき、「クリスティ」を手放して、”あずき色”を選択できる、と胸を張って言えますか?皆に自慢したいからという素直な理由で、きれいな「クリスティ」を選んだとしても、それは少年の正直な態度として許されるとも思われます。本人や家族が傷つかないようにフォローすべきは、周囲の大人たちの責務なのではないでしょうか?
まず、つよしの、この心強さに気づいてほしいものです。そして、「家族の絆」のありがたみは、決して手放しで得られるものではなく、つよしのように、真剣な葛藤と苦渋の経験を経て、実感として手にすることのできるものだという学びが、ここにあるように思います。
受験生のみなさん。夏休み中、ご家族とともに過ごす時間も増えていることでしょう。塾に送り出してくれるご両親の労を当たり前と思わず、感謝の気持ちを形にして表現してみてはいかがでしょうか?